小野寺徳一

小野寺徳一(おのでらとくいち:1902~1973)

系統:木地山系

師匠:高橋徳左衛門/小椋泰一郎

弟子:小野寺正徳

〔人物〕明治35年1月30日、秋田県雄勝郡川連町大舘の小野寺虎之助の長男に生まれる。〈こけし辞典〉では父の名を実之助としているが虎之助が正しい。父虎之助は塗師小野寺梅太郎の弟であるが、横木専門の木地挽きとなった。しかし、徳一は父には木地を習わず、19歳ころより立木専門の小椋泰一郎に約一ヵ月位、その後高橋徳左衛門高橋兵治郎の父)に約二年間木地を習った。その後自家で木地業を続けた。昭和23年に長男正徳が誕生した。戦争後神経痛を患い、しばらく木地を休止して塗物商いに従事していたが、昭和30年ころより再開した。昭和38年頃から長男正徳に木地の指導を行なった。
徳一は木地再開後、こけしも製作したが、昭和48年3月12日に没した。行年72歳。

小野寺徳一

〔作品〕戦前は昭和15年前後に一時期こけしの製作を行った。ただ専門に多くを作ったわけではないので作風も一定ではなく、下掲右端のように太目の木地にヌーボーとした表情のもの、小椋泰一郎風のもの、小椋正治風のものなどあった。


〔20.7cm、21cm、30.9cm(昭和40年代)、16.5cm(昭和16年8月)(沼倉孝彦)〕

〈こけし辞典〉には鹿間時夫旧蔵の戦前の作品が写真掲載されており、下掲も同じころの作。


〔25.6cm(昭和17年頃)(ひやね)〕

戦後は昭和30年頃から木地を再開し、こけしも製作した。
胴の描彩は袂の長い和服に、井桁の前垂をつけた様式で、長男正徳も基本的にこの様式を継承してこけし製作を始めた。なお戦後の徳一名義の作に、正徳が描彩した可能性のあるものもある。


〔 24.8cm(昭和40年頃)(高井佐寿)〕

〔伝統〕木地山系

 

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