菅野国男(かんのくにお:1936~)
系統:土湯系
師匠:渡辺義雄/斎藤忠七
弟子:
〔人物〕昭和11年12月12日、福島県信夫郡町庭坂字高湯(信夫高湯)の安達屋旅館の10人兄弟の五男に生まれる。戸籍表記國男。土湯の斎藤忠七は叔父に当たる。
安達屋では子供に教育のため福島市内に家を一軒持っていてそこから学校へ通わせていたので、国男も兄弟5人で自炊生活をしながら中学、高校へ通った。昭和30年福島県立福島高校を卒業し、上京して日本橋茅場町の喜可久(宝井其角の住居跡に立つ割烹)で日本料理の修業を行った。
昭和35年に吾妻スカイライン開通と共に実家の信夫高湯は多忙となり、安達屋旅館に戻ることとなった。昭和45年には福島民報社が経営する吾妻高原ホテルの取締役、調理部長として入社した。これは安達屋が同ホテルに出資していた関係による。木地を挽いてこけしを作っていた渡辺義雄は鮮魚、豆腐などを扱っていた清水屋を経営していたので、国男は毎日仕入れに通っていたが、その渡辺義雄の仕事に魅せられて昭和45年から指導を受けることになった。また、たまたま宿泊に来た弥治郎の新山久城とこけし談義に意気投合し、久城からロクロ一式を譲ってもらうこととなった。
この時期、叔父の斎藤忠七の指導もあり、こけしも熱心に作ったが、製作期間は昭和46年から47年までの二年ほどであった。
〔作品〕こけしは渡辺義雄やその師篠木利夫、斎藤忠七の影響の下で作っているが、まだ独自の作風を確立する前に製作を中断してしまった。篠木利夫の一群の弟子たちと同じ範疇のこけしと言ってよいだろう。
〔右より 30.5cm、30.2cm(昭和47年1月)、24.2cm(昭和47年4月)(中根巌)〕
〔伝統〕土湯系一般型。
〔参考〕
- 中根巌:信夫高湯の菅野國男〈伊勢こけし会だより・99〉(平成14年5月)