小林誠太郎(こばやしせいたろう:1926~2005)
系統:山形系
師匠:小林清蔵
弟子:
〔人物〕 大正15年11月7日山形市六日町(通称新築西通り)木地業小林清蔵の長男として生まれる。小林忠次郎は6歳年少の弟。小学生時代からロクロに上り木地を挽いていた。昭和13年頃より父の指導でこけしの描彩も始めた。昭和15年〈鴻・第3号〉で作者として紹介され、以後こけしを多く作るようになった。昭和18年入営により製作を中断したが、終戦により帰郷後再開、昭和22年からは動力ロクロ設置して清蔵、弟忠治郎とともに一家で木地業を続けた。昭和35年清蔵の没後はその工場を引き継いだ。
平成17年4月4日没、行年80歳。
〔作品〕 戦前昭和13年より18年までのこけしは山形小林家の胴模様ではなく、横菊の重ね菊あるいは横菊の散らし模様を描いた。この時期の作例は〈山形のこけし〉193ページにも紹介されている。
〔25.0cm(昭和17年6月)(鹿間時夫旧蔵)〕横菊のちらし模様
戦後は昭和22年頃からこけし製作を再開したが、新型こけしや他の木地製品の製作が主であり、伝統こけしは注文に応じて作る程度であった。また七日町の吉野屋人形店では多く売られた。戦後の清蔵名義のこけしの中には誠太郎が作ったものがある。
〔右より、15.4cm(平成15年1月)自身の復古作、23.2cm(昭和23年)(庄子勝徳)〕
昭和42年頃から倉吉古型の復元を行うようになり、古風な味わいの作品が生まれるようになった。その後、清蔵の正末昭初のこけし再現にも取り組み、かなりの成功をおさめた。日下源三郎を復元したものもある。昭和50年から60年代の倉吉、清蔵の復元作の中に緊張感があり、張りのある表情の佳品が多い。
〔右より 18.3cm、15.3cm(昭和47年5月)(橋本正明)〕東京こけし友の会頒布
昭和55年代には三鷹台のたつみで誠太郎による復元作のシリーズが頒布された。下掲は倉吉型でその一つ。〈山形のこけし〉にも写真紹介されている。新型の影響は完全に払拭されて、小林家本来の作風が再現されている。
〔26.0cm(昭和55年)(橋本正明)〕倉吉型 たつみ頒布
下掲も大正末期の倉吉の形を写したもの。
〔伝統〕 山形系。 倉治-倉吉-清蔵-誠太郎という山形系の本流。小林忠次郎は弟。
〔参考〕
- 柴田長吉郎:小林誠太郎さんを偲ぶ〈こけし手帖・533〉(平成17年6月)
- 吉田博人:小林誠太郎さんのこけし〈こけし手帖・587〉(平成21年12月)