今野幹夫(こんのみきお:1931~2010)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤好秋
弟子:
〔人物〕 昭和6年5月28日、北海道網走郡北見市美幌町の農業今野房吉・マツヨの長男に生まれる。小学校3年生のとき一家は南洋パラオ本島に移住し、そこで農業を始めた。終戦後、昭和21年3月パラオ本島大和高等小学校を卒業した。その後一家は日本に引き揚げ、宮城県刈田郡遠刈田北原尾に入植した。幹夫は、昭和23年10月より遠刈田新地の佐藤好秋について木地の修業を始めた。兄弟弟子に大宮正男、小室由一がいる。他の弟子、石黒好一、小笠原好蔵、大田忠治、大野裕治等は間もなく転職した。幹夫は遠刈田で約10年間新型こけしの木地を挽いていた。
昭和33年佐藤好秋の長女かしくと結婚した。昭和38年夫婦は仙台市に転居して独立し、翌39年3月より、夫婦でこけしの製作を始めた。木地は幹夫、描彩はかしくが受け持っていた。作者署名の名義はかしくであった。夫婦合作こけしの場合は普通夫の名で出すのに、幹夫の場合は妻名儀で出している。好秋の長女という立場を尊重していたのかも知れない。
幹夫は当初は木地専門であったが、昭和54年から自分でも描彩を行うようになり、幹夫名義のこけしが世に出るようになった。平成20年、妻かしくが他界した。
幹夫は温厚着実で辛棒強い性格の工人であった。平成22年11月17日没、行年80歳。
〔作品〕50歳近くなってから描彩も行うようになり、自分名義のこけしを世に出すようになったが、当初から筆力はしっかりしており、松之進ー好秋の系譜をしっかり引き継いだこけしを作った。下掲は描彩を始めて間もない時期であるが、筆のさばきに未熟さは見られない。
〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列
〔参考〕