斎藤良輔(さいとうりょうすけ:1925~2015)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤吉弥
弟子:
〔人物〕 大正14年6月12日、福島県会津若松市栄町の商業斎藤栄作六男として生まれる。昭和15年尋常小学校卒業後は会津若松市内で働いたが17年に東京の軍需工場に、その後工場疎開で福井へ向かう。戦後は会津若松へ戻りアルマイト打刻会社で営業職に就いていた。昭和27年当時会津若松で働いていた佐藤吉弥長女の八重子(やい子)と結婚、遠刈田へ拠点を移し足踏みロクロで木地修業を始めた。昭和28年には動力ロクロに変わり新型の下木地等を挽いたが、伝統こけしの描彩を昭和33年より吉弥について開始した。吉弥の死後も妻八重子と共に店を受け継ぎ、同地で平成19年頃までこけしを作り続けた。その後は、娘婿が住んでいる金沢に夫婦で移り住んでいた。平成27年4月25日没、91歳。
〔作品〕 ここに掲げる鹿間時夫旧蔵の18.0cmは昭和33年8月の初作で、〈こけし 美と系譜〉の図版59で紹介されたもの。「三日月目の細い甘美な作で、情味深く初作の良さを示している。」〈こけし辞典〉と鹿間時夫は評した。その後、義父吉弥の作風を追求しながら、吉弥に近い作風のこけしを安定して作った。
〔右より 18.0cm(昭和33年8月)(鹿間時夫旧蔵)、18.2cm(昭和34年)(庄子勝徳)〕
ここに掲げるのこけしは昭和40年代に行った種々の復元作、〈こけし 美と系譜〉でも図版115で紹介されている。遠刈田の古風な形態や描彩の感じも見事につかんでいた。
義弟哲郎ともに、完成された吉弥型の継承者として長く活躍した。
〔右より 22.0cm(昭和42年5月)滑津古作復元、24.5cm(昭和43年8月)、
19.8cm(昭和42年5月)吉之助型2種、23.3cm(昭和42年5月)遠刈田古作(橋本正明)〕
〔伝統〕 遠刈田系吉郎平系列
〔参考〕