白畑重治(しらはたじゅうじ:1888~1953)
系統:独立系
師匠:高橋直広
弟子:白畑與太郎
〔人物〕明治21年1月28日、酒田市下中町の白畑與惣吉、竹代の長男に生まれた。明治34年ころ、高橋直広の弟子となって木地を修業した。明治45年、斎藤峯吉長女芳と結婚、與太郎、陽次、誠吉、幸作の四男をもうけた。
大正2年に酒田市外野町で独立開業した。昭和12年ころからは動力で挽いた。
昭和28年1月10日没、行年66歳。
四人の息子のうち、木地業を継いだのは長男與太郎のみで、次男陽次は大工、三男誠吉
は横浜で水道工事業、四男幸作は酒田で木型製作に従事した。
〔作品〕戦前は必ずしも評価の高いこけしではなかったが、初期の野趣に富む作品は異色ではあるが評価されてよいだろう。面描はリアルな眼、口を描いて野趣溢れる表情、細身の黄色い胴には洋花を一面にちりばめて描いた。
〔23.1cm(昭和初期)(沼倉孝彦)〕久松保夫旧蔵
下掲は鹿間時夫旧蔵で野々垣勇吉コレクションにあったものという。鹿間時夫は〈こけし鑑賞〉に取り上げて「特有の物憂いような北国のグルーミィな気分を出している。」と評した。
昭和13年ころ以後の作品は、胴太く目が丸くかわいらしいものになったが、これは本人の描彩ではなく、長男與太郎の妻よしの描彩、あるいは四男幸作の描彩である。
〔伝統〕独立系
こけしは創作か師匠の直広よりの伝承か不明であるが、昭和5年刊行の〈日本郷土玩具・東の部〉にはすでに作者として名がみえる。
〔参考〕