佐藤正(さとうただし:1929~)
系統:弥治郎系
師匠:渡辺求
弟子:
〔人物〕 昭和4年12月5日、福島県安達郡高北川村熱海温泉の農業佐藤孫右衛門の長男に生まれた。渡辺求の以前の家が正の家と向かいあっていたため、子供のころより求に可愛いがられていた。その縁から、国鉄岩代熱海(現磐梯熱海)駅保線区勤務のかたわら、昭和32年より求に弟子入りし、木地と描彩を修業、余暇にこけしを作った。こけしは同年8月頃より製作を始めた。ただ、こけし蒐集界に紹介されたのは昭和40年代になってからで、東京こけし友の会では昭和42年正月例会で初作として初頒布された。
昭和42年ころより師匠の求は、体力・視力ともに衰え製作量とみに少なくなったので、求の店では佐藤正のこけしを販売していた。求は昭和43年12月71歳で没した。
佐藤正は引き続き勤務の余暇に製作を続けた。
国鉄、JRに54年間勤務したのち退職、その後もこけしの製作は行っている。磐梯熱海駅前に「こけし庵」を開いている。
〔作品〕 下掲のこけしは東京こけし友の会の昭和42年正月例会において初作として初頒布されたもの。渡辺求の戦後の作風を忠実に継承してこけしの製作を開始した。
昭和43年に師匠の渡辺求が亡くなってからも、師匠の型を継承してゆくことに使命感をもってこけしの製作を続けている。
〔右より 20.0cm(昭和50年)(目黒一三)、25.6cm(平成2年頃)(国府田恵一)〕
〔 30.3cm(昭和55年)(高井佐寿)〕
渡辺求の晩年の様式から出発したが、求の戦前の作風も研究するようになり、そうした味わいのこけしも作るようになった。
下掲は渡辺求の戦前作を復元したもので、よく雰囲気を再現できている。
渡辺求の戦前の型を復元したことによって、昭和期のこけしに比べて平成の正のこけしは本来の磐梯熱海らしい目の大きな作風になっている。
下掲写真は85歳を超えてからの作、渡辺求のいくつかの型に取り組んだが、そうした試みを通して、この時期には既に佐藤正の本人の型となって作為のないこけしが作られているように見える。
〔右より 18.0cm、24.0cm、39.0cm、30.0cm(平成28、29年頃)(降矢教子)〕
〔伝統〕 弥治郎系栄治系列
〔参考〕
- 露木昶:「磐梯熱海の佐藤正」〈こけし手帖・115〉(昭和45年10月)
- 日々こけ 西田記念館にて 佐藤正 作