鈴木運吉

鈴木運吉(すずきうんきち:1925~1993)

系統:鳴子系

師匠:岡崎斉吉

弟子:鈴木俊幸

〔人物〕大正14年6月7日、鳴子町湯元の大工鈴木亀吉・よしのの長男として生まれる。当時鳴子の岡崎斉吉は、自身で木地工場を経営していたが、昭和11年頃軍需品等を挽く工場をさらに鈴木亀吉方に開設したので、運吉も小学校時代から木地を挽く練習をした。昭和15年鳴子高等小学校卒業後、亀吉方の工場で仕事をしていた岡崎斉吉に正式に木地を習った。
運吉は、その後徴用され、上京して海軍学校で学んでいたが、在学中に終戦を迎え鳴子へ帰った。
昭和24年25歳まで岡崎斉吉工場の職人を勤め、以後独立した。昭和26年には北海道函館にて一年間木地指導を行ない、鳴子へ帰って半年後には大沼宜輔工場の職人となった。
昭和30年長男の俊幸が生まれた。
昭和39年独立、鳴子新屋敷に作業場を作り、こけしの製作に本格的に取り組むようになった。但し描彩は妻女の花枝である。昭和40年、三彩社の〈こけし〉により作者として紹介された。
やがて、住居を上鳴子に移し、長くこけし作りを続けた。昭和47年より長男俊幸に木地の指導を始めた。
平成5年3月16日没、行年69歳。

鈴木運吉  昭和42年

〔作品〕運吉は木地のみで、描彩はもっぱら妻女花枝が行なっていたため、描彩において師匠からの継承関係はなく、鳴子の標準型の描彩が基本であった。一方で師匠からの様式の制約がなかったので花枝自身の発想もあり、鳴子系にしては異例の垂れ鼻を描いていた。


〔30.3cm(平成4年頃)(高井佐寿)〕

 〔伝統〕鳴子系共通型 後継者は長男鈴木俊幸。

 

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