タグ別アーカイブ: 高野幸八

東郷ハガネ

木地屋が用いる鉋には、国産の通常のハガネが使われていたが、日清戦争のあと頃から輸入の洋鋼が使われるようになった。 鳴子の高野幸八は、鉋の切れに自信があったようで「板丸兼ねての名人」という看板を掲げていたが、鳴子でいち早く… 続きを読む

全国特産品製造家便覧

日本物産奨励会 が編纂し、日本の県別特産品をまとめた便覧で、大正8年に上巻、大正10年に下巻が、また更に大正13年版と三回にわたって広報通信社より刊行された。刊行の趣意として下記のような記述がある。 「どこの国に何という… 続きを読む

佐野健吉

品川新宿の山三駿河屋呉服店主(実際には布団屋に近い業態であったという)。 明治30年代から大正時代にかけてこけしを蒐集、少量高値で趣味人に頒けた。趣味多く、冨士講の世話人(先達)をしたり、千社札を貼り歩いたりもしていた。… 続きを読む

加山道之助

明治中期に、こけしを集めた横浜の蒐集家。橋田素山と並んで極初期の玩具蒐集家である。 こけしも古いものを多く集めていたがその殆どを関東大震災で焼失した。焼失したこけしの中には高野幸八もあったという(佐野健吉談)。下掲の飯坂… 続きを読む

高橋勘七

深沢要著〈こけしの追求〉に鳴子高野幸八の弟子として紹介された。伊藤松三郎談によると「山形方面の人で明治37、8年ころ高野幸八の弟子になったが、わずかの期間でやめた」という。こけし作者であったかどうかは不明である。

石原日出男

〔人物〕大正14年3月13日、石原謙太郎、みつのの末子として東京市芝区で生まれた。父謙太郎は宮城県涌谷町にて商業を経営していた。母のみつのは鳴子の大沼岩太郎の長女せいと養子浅吉の間に生まれており、日出男にとって岩太郎は曽… 続きを読む

大沼又五郎

〔人物〕文政7年6月13日、鳴子高野屋高野四郎作の長男に生まる。戸籍表記は亦五郎。父四郎作は旅館業で、家督は第一子である姉が相続、又五郎は弘化4年に源蔵湯隠居家督大沼三郎治(竹三郎)の長女ちやの入婿となり、弟幸作は分家し… 続きを読む

遊佐民之助

〔人物〕  明治22年2月5日、宮城県加美郡大平の遊佐健治・きんの長男に生まる。父健治は岩出山の出身、母きんは文久元年6月21日生まれで、鳴子の塗師高野幸作(幸八の父)の次女である。明治27年6歳のときに父と死… 続きを読む

松田大弘

〔人物〕 平成2年1月25日宮城県大崎市鳴子温泉字上鳴子のこけし工人松田忠雄、真澄の長男に生まれる。三人姉弟で姉が二人いる。松田初見は曽祖父、松田三夫は祖父にあたる。平成29年3月に東京国際大学大学院修士課程を修了した。… 続きを読む

松田三夫

〔人物〕  昭和3年9月16日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子の木地業松田初見の長男に生まれる。鳴子高等小学校を卒業後、上京して蒲田の鉄工所に勤めるなどいくつかの職について働いたが、戦争が始まって昭和18年ころ鳴子に… 続きを読む