高橋直蔵(たかはしなおぞう:1833~1902)
系統:鳴子系
師匠:高橋万四郎/大沼又五郎
弟子:高橋亀三郎/高橋利四郎/高橋弥太郎/河村辰治
天保4年5月23日、宮城県玉造郡鳴子の高橋直四郎、久の長男に生まれる。高橋家は初代佐左衛門、二代佑左衛門、佑左衛門の一人娘久に入り婿となった三代直四郎と続いた漆器商であった。父直四郎は若くして没したため、久に高橋万右衛門家から後夫万四郎を迎えたので、直蔵は万四郎に育てられた。直蔵は木地を挽くようになったが、その師は義父万四郎とも大沼又五郎とも言われる。万四郎は文久2年8月26日に亡くなった。
直蔵は湯元の坂に店を持ち、木地を挽いた。妻ときとの間に亀三郎、運四郎が生まれた。木地は亀三郎が継いだ。次男運四郎は明治22年25歳で早世したので木地にはほとんど関わらなかった。直蔵の木地の弟子は亀三郎のほかに、高橋利四郎、高橋弥太郎、河村辰治などが知られている。
孫の高橋武蔵は、深沢要の質問に答えて「直蔵がこうけしを描いていたのを覚えている。亀三郎のこうけしは一筆目の描き方で粗末なものだった。しかし大きいものは作らない。主として6、7寸以下であった。」〈こけしの追求〉と語っていた。胴には紅でなでしこなどを描いていたともいう。将棋が好きで、ゆさやとは将棋友達であった。現在高橋直蔵作のこけしで確認されるものは残っていない。
明治35年1月2日没、行年70歳。