蔦文男(1)

蔦文男(1)(つたふみお(1):1920~1943)

系統:弥治郎系

師匠:蔦作蔵

弟子:

〔人物〕大正9年2月13日、山形県南置賜郡玉庭村字大舟の青木盛二男に生まれる。父盛の妹つぎゑは小野川の蔦作蔵に嫁いでいたが、作蔵・つぎゑ夫妻の間には子供が生まれなかったので、昭和5年に文男がその養子となった。また昭和9年には作蔵の実弟幸作の五男衛も養子となった。
文男は昭和12年18歳より、養父作蔵について木地を学んだ。こけしも作蔵の作風を継承して製作した。
昭和14年12月1日付けで秋田歩兵連隊に現役兵として入営、さらに大陸に出征し、昭和18年3月6日に中国山西省大原で戦死した。陸軍軍曹であった。行年24歳。
義母のつぎゑは悲嘆のあまり身体を壊して、その年の6月に亡くなった。
蔦作蔵は、米沢市塩井町の玉虫しづえと再婚したが、しづえとの間に生まれた男子に同名の文男と名付けた。

蔦 文男
蔦 文男(1)

〔作品〕製作期間は、昭和12年から14年の二年余で非常に短い。作品はその時期の作蔵を丁寧に写している。現存作品数は少ない。


〔右より 18.5cm(昭和14年)(鈴木康郎)米浪庄弌旧蔵、27.5cm(昭和14年)(目黒一三)鈴木鼓堂旧蔵、18.1cm(昭和14年)(目黒一三)〕

〔伝統〕弥治郎系栄治系列

〔参考〕

  • 蔦作蔵/西田峯吉:弥治郎と小野川―蔦作蔵の手記  (昭和48年) 
    本Wikiにおいては〈こけし辞典〉での生年月日、没年月日を上記文献により訂正した。
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