平賀貞夫(ひらがさだお:1925~1949)
系統:作並系
師匠:平賀謙蔵/平賀貞蔵
弟子:
〔人物〕大正14年3月22日、平賀貞蔵の長男として宮城県仙台市に生まれた。当時貞蔵は仙台でタクシーの運転手をしていた。昭和8年一家は作並に戻って父貞蔵は岩松旅館で働いた。
貞夫は昭和14年に高等小学校を卒業後、国鉄に入り、仙山線作並駅の出札係を務めた。伯父の平賀謙蔵は作並で木地を挽いていたが、昭和12年頃から痛風で作業が困難になっていた。父貞蔵はそのころから平賀謙蔵の作業場で少しづつ木地を挽くようになっていたので、貞夫も作並駅勤務の傍ら、謙蔵、貞蔵とともに木地も挽くようになった。こけしの製作は昭和14年から18年くらいまでである。
病を得て昭和24年7月16日に没した。行年25歳。
〔作品〕製作期間は短く、残る作品は少ない。初出の文献は〈鴻・11〉。
初期のものは目が大きく湾曲して両端が著しく垂れていた。
〔25.8cm(昭和14年6月)(日本こけし館)〕深沢コレクション
〔24.8cm(昭和14年頃)(西田記念館)〕
後年になると眼は大分こじんまりとして整ってくる。貞蔵名義で世に出たものもあった。
貞夫の蟹花の第一辨は下側から筆が入ると言われているが、必ずしもそうではないものもあり、貞蔵、多蔵との鑑別は簡単ではない。
〔伝統〕作並系
〔参考〕