松谷伸吉(まつたにしんきち:1956~)
系統:鳴子系
師匠:岡崎仁治
弟子:
〔人物〕 昭和31年2月8日、島根県雲南市三刀屋町の林業松谷長一郎の三男に生まれる。 昭和49年19歳の時、新聞で桜井コウの記事を見てこけし工人に憧れる。宮城県鳴子温泉に行って、桜井工房を訪ねるが弟子入りはかなわず、岡崎仁治に弟子入りして木地の修業を始めた。昭和59年4月より、こけしの製作も始めるようになった。昭和59年11月には名古屋こけし会で頒布された。鳴子で独立して1年半ほど営業したが思うように稼げなかった。そのため、しばらくして島根に帰ることになった。帰郷後、木の人形とおもちゃの店「吉や」を出雲大社の近くに開業したが、創作木地人形が主であり、こけしの製作からは長く離れることになった。平成5年に伊勢こけし会の山本吉美の依頼を受けた伊藤勲が島根に伸吉を訪ね、こけし製作再開を進めた結果、翌平成6年に島根での第一作が作られたが、作風はかなり変わっていて新型に近いこけしになっていた。その後、平成10年に名古屋松坂屋の「島根県の物産展」に持参したこけしも、依然新型に近い傾向のものだったらしい。
平成10年の鳴子の「全国こけし祭り」に出品の作品は、やや素朴な作風ながら、完全に鳴子の伝統的な作風に戻っていた。その出品動機は、師匠岡崎仁治が体調を崩しているという話を聞いて、島根でちゃんとこけし作りに励んでいるところを見てもらいたいということだったようである。
その後、機会があればこけしを作り、コンクールなどにも出品するようになった。
現在、島根ワイナリーの向かい、交差点の角に合掌作りの店「吉や」(木のおもちゃと木地人形)を経営して、店内にロクロを据え、こけしの他、雛人形など各種木地人形の製作を行っている。
〔作品〕 鳴子時代の作は、名古屋こけし会で頒布されたが、それほど多く残ってはいない。
島根に戻ってこけしを再開し、平成10年に鳴子の「全国こけし祭り」に出品して以降は、師匠岡崎仁治の型を作っている。ただしその作風はむしろ仁治の父岡崎才吉を彷彿とさせるものであった。
〔右より 27.6cm、28.2cm(平成13年)(高井佐寿)〕
平成17年の伊勢こけし会、平成18年1月の名古屋こけし会で頒布された6寸は、仁治の伯父斉の古型の雰囲気を出したこけしであった。
島根という土地柄、外国から来た観光客がたまに買う程度で、あまり買っていく人がいないと聞く、むしろ彼の作る新考案の種々の木地人形の方は人気が高いようである。
こけしにおいてもあどけない子供が上を見上げたような変わり型を作ることもある。
しかし伸吉の伝統的なこけしは独特の趣を持って光るところがあり、少しづつでも作り続けて欲しいこけしである。一方伸吉にとってこけしは特別のものであり、軽い気持ちで作れるものではないとも語っている。
〔18.2cm(平成17年)(〈伊勢こけし会だより・120〉より)〕
〔系統〕 鳴子系岩太郎系列