松田弘次

松田弘次(まつだひろじ:1938~2020)

系統:南部系

師匠:松田精一/安保一郎

弟子:松田晋/佐藤和子/渡部信夫

〔人物〕昭和13年3月25日、岩手県盛岡市清水町の木地師松田精一、トキの次男に生まる。昭和32年3月岩手県立杜陵高校卒業、昭和28年4月中学校時代より父精一、安保一郎について木地を習得した。昭和35年7月より昭和36年7月まで神奈川県小田原市板橋の府川米吉商店で木地を修業した。帰郷後、父の松田木工所で働いていた。昭和40年ころより注文に応じてキナキナを作り続けた。
清水町時代は父精一と並んでロクロで黙々と木地を挽く、おとなしい青年工人であった。
その後、清水町から高松の池の奥の上田堤に木工所を移し、営業を継続した。
昭和59年より、妹の和子(佐藤性)に木地の指導を行った。平成6年からは長男の晋に木地の指導を始めた。晋は平成8年頃よりキナキナを製作している。
令和に入っても仕事は続けていたが、令和2年10月21日に没した。行年数え年83歳。

松田弘次 昭和42年7月
松田弘次 昭和42年7月


松田弘次 (平成27年12月5日盛岡手づくり村)撮影:中根巌


松田弘次 (平成27年12月5日盛岡手づくり村)撮影:中根巌

〔作品〕技術はしっかりしており、父精一譲りの無彩のキナキナを堅実に継承している。


〔 30.3cm(昭和55年)(高井佐寿)〕

松田徳太郎型、坂下権太郎型など各種の型にも取り組んだ。


〔右より、12.1㎝(平成24年7月)徳太郎型大阪こけし教室お土産、15.7㎝(平成24年12月)坂下権三郎型、18.0㎝(平成10年9月)徳太郎型、18.0㎝(平成6年12月)正一型、18.0㎝(平成6年112月)安保一郎型、18.0㎝(平成9年5月)本人型、9.0cm(平成24年7月)本人型大阪こけし教室頒布)(中根巌)〕

系統〕 南部系

〔参考〕祖父清次郎が煤孫茂吉とともに、明治23年に考案したハズミ車応用足踏み轆轤が盛岡の県立博物館にのこされており、松田弘次がその轆轤の実演を行った。

明治23年に日本鉄道が盛岡まで開通した直後に、その盛岡車両修繕工場で、西洋のハズミ車の付いたミシン式の足踏み旋盤を見たことが契機で、それをもとに二人で工夫してハズミ車応用足踏み轆轤を開発した。この轆轤を扱える工人は松田弘次くらいしか居なかった。

東北文化財映像研究所ライブラリー映像館より

 

上田堤 松田木工所
[`evernote` not found]