皆川たみ子(みながわたみこ:1922~2008)
系統:鳴子系
師匠:高橋盛
弟子:
〔人物〕大正11年1月8日生れ。皆川元一の妻。昭和18年ころから本荘の由利木工製作所に勤め、こけしの描彩を専門に行なった。当時鳴子から来て由利木工所で働いていた高橋盛にも描彩の指導を受けた。高橋盛一家は昭和23年に鳴子へ帰った。由利木工所はその後も営業を続けたが、次第に営業不振となり昭和26年に倒産した。たみ子は由利木工所で木地を挽いていた元一結婚し、ともに製菓業を開業した。
昭和42年3月高橋盛より秋田時代の弟子の話を聞いた蒐集家の橋本正明は、秋田こけし会の加賀谷憲介とともに本荘を訪ね、聞書きを取ると同時に持参した遊佐福寿の木地に描彩を依頼した。当初は夫の元一がこけしを描彩したものと思っていたが、描いたのはたみ子であった。由利木工時代には元一ら男性陣は専ら挽き方であり、女性が主に描彩を担当していたことがわかった。
この訪問の報告は〈こけし手帖・83〉に掲載されたが、以後何人かの蒐集家が木地を用意して、たみ子に描彩を依頼したので、たみ子が描彩したこけしはさらに少数が残っている。
平成20年2月11日没、行年87歳。
右:皆川元一 左:皆川たみ子 昭和42年3月 撮影:加賀谷憲介
〔作品〕 下掲の4寸は例外的に残った由利木工時代の作品で、木地は元一、描彩はたみ子。面描は秋田時代の盛一家の描法を忠実に継承して巧みである。おそらく当時は相当数描いたであろう。胴には顔料で桔梗が描かれている。
秋田時代の高橋盛名義の作品の中に女性描彩者の手になると思われるものがかなりあり、従来は盛の妻女きくゑの描彩といわれていたが、たみ子など由利木工所で働いていた女性描彩者の描いたものがかなり混在しているだろう。
〔 13.9cm(昭和24年頃)(ひやね)〕 木地:皆川元一 描彩:たみ子
下掲写真の6寸は昭和42年3月に遊佐福寿の木地に描彩したもの。染料も福寿に分けてもらって持参した。面描は手馴れていて、相当描いていたことがわかる。これを高橋盛に見せると、盛は「良くこれまで描けたものだ」と感心していた。
〔 18.6cm(昭和42年3月)(橋本正明)〕 木地:遊佐福寿
その後も依頼により描いたものが少数ある。赤、緑は顔料系のものを使用したと思われる。
〔伝統〕鳴子系利右衛門系列
〔参考〕
- 橋本正明:本荘のこけし〈こけし手帖・83〉:昭和43年2月