子野日幸助

子野日幸助(ねのひこうすけ:1918~1998)

系統:鳴子系

師匠:高橋盛

弟子:

〔人物〕大正7年1月27日、秋田県横手に生まる。元来、食料品業についていたが年齢に達し入隊した。兵役後、昭和17年10月より秋田の工芸指導所に入り、指導官であった高橋盛より木地を習得した。本荘の佐々木末治、皆川元一、象潟の佐々木久作は兄弟弟子である。翌18年3月より前記三名とともに本荘の由利木工製作所に移り、約5ヵ月間職人を勧めた役、横手へ帰り独立開業した。
昭和18年10月に応召となり、昭和21年2月に帰還した。
その後、横手駅前の羽後銀行向かいで木地業を再開、こけしも作り羽後銀行隣の下駄屋で売っていた。ただこの時代の作品はほとんど残されていない。
昭和22年10月に転業し、木地業より離れた。その後、横手市神明町にて子野日ウエス手袋製造所を経営している。 戦後蒐集家の勧めにより、鳴子高勘の木地に描彩したものがある。
平成10年2月24日没、行年81歳。

子野日幸助 昭和42年3月

〔作品〕こけし製作期は、秋田時代、由利木工時代と第一期、第二期横手時代、さらに収集家の要請によって他人の木地に描彩した復活期がある。復活期以前の作はほとんど収集家の手に渡らず、近在の子供たちの消耗品として消えてしまったため、全くの稀品となっている。
中屋旧蔵の作者不明作が子野日幸助の秋田時代の作ではないかとされたことがある。本人が自分の旧作だと言ったことによる。しかし、橘文策旧蔵品中に同種の作があって後藤善松と橘文策の記入があり、中屋旧蔵もおそらく善松だろうとされている 〈こけし千夜一夜物語〉。秋田時代の作品は殆ど確認されていない。
作品の残る復活作としては、昭和32年10月に蒐集家山田猷人の勧めで盛木地に描彩した10本、昭和42年3月と7月に橋本正明の依頼で福寿木地に2本ずつ計4本描彩したものが知られている。
 


〔21.0cm(昭和32年10月)(橋本正明)〕山田猷人の勧めによるもの


〔右より 18.3cm(昭和42年3月)、18.2cm(昭和42年7月)(橋本正明)〕

橋本による復活が〈こけし手帖・87〉で報じられた後、鳴子型の木地に描彩を依頼されて描いたこけしが東京のこけし店で売られたことがある。

〔伝統〕鳴子系利右衛門系列

〔参考〕

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