皆川元一

皆川元一(みながわがんいつ:1910~1972)

系統:鳴子系

師匠:高橋盛

弟子:

〔人物〕明治43年10月1日、秋田県本荘に生まる。本荘の佐々木末治、象潟の佐々木久作とともに「三之助もろこし」の本舗である本荘市の小林菓子店に丁稚奉公し、年期明け後本荘駅前通りに独立開業した。戦争中、砂糖が人手困難となり、菓子製造が難しくなったので昭和17年より小林菓子店時代の兄弟弟子三名で秋田市工芸指導所に通い、鳴子から来ていた指導官のの高橋盛から木地を習得した。皆生活がかかっていたので真剣に木地を習い、約半年間毎日鉄道で秋田まで通ったという。
昭和18年より本荘の由利木工製作所に移り、昭和20年には高橋盛一家も招いて木地業を続けた。横手の子野日幸助もここで半年ほど働いた。由利木工時代にはこけしも挽いて、女性の描彩者数名をおいていたが、その一人に現在元一の妻となっているたみ子がいた。由利木工は昭和26年に倒産し、その後たみ子と結婚して製菓業を再開した。妻女たみ子はこけしの描彩をしたが、元一は木地のみで描彩は行なわなかった。
昭和47年12月12日没、行年63歳。


右:皆川元一 左:皆川たみ子 昭和42年3月 撮影:加賀谷憲介

〔作品〕 皆川元一が挽いた木地とわかるこけしは殆ど確認されていない。下掲の4寸は例外的に残った作品で、木地は元一、描彩はたみ子。本荘の由利木工時代のもの。
木地は非常にきっちり挽かれており、確実な木地挽きの技術を身につけていたと思われる。
胴の桔梗花が顔料描彩であるのは残念であるが、高勘のこけしとして完成度は高い作品だったことがわかる。


〔 13.9cm(昭和24年頃)(鈴木康郎)〕 木地:皆川元一 描彩:たみ子

〔伝統〕鳴子系利右衛門系列

〔参考〕

  • 橋本正明:「本荘のこけし」〈こけし手帖・83〉:昭和43年1月
[`evernote` not found]