宮城県当局の後援、補助金により、大正7、8年の冬期間二回にわたり宮城県刈田郡七ケ宿村大字湯ノ原字稲子で木地講習会が開催された。講師は遠刈田新地の佐藤松之進であった。
受講者は、大葉与一郎、大葉亀之進、佐藤豊七郎、熱海嘉兵衛、青木慶次郎、佐藤養之助、佐藤文吾、佐藤源次郎、佐藤甚助、佐藤豊治郎、高橋伝治、斎藤庄助の12名であった。
受講者の一人で後にこけし作者として知られるようになった大葉亀之進が昭和8年に記した木地の寸法帳が亀之進の長男富男のもとに残っている。主な木地製品の図と寸法が記されており、その中にこけしの図案もある。
下掲写真に「木地細工先生宮城県下遠ヶ田佐藤松之助申仁」とあるが、松之助は松之進の戸籍名である。遠刈田は遠ヶ田と記されている。