佐藤稔(さとうみのる:1917~1993)
系統:弥治郎系
師匠:佐藤勘内
弟子:
〔人物〕 大正6年5月3日、宮城県白石市鎌先温泉の木地業佐藤勘内、うめのの三男に生まれる。長兄は佐藤雅雄、次兄は佐藤次雄である。昭和4年ころから勘内についてロクロに上がっていたが、昭和6年尋常小学校卒業後に本格的に木地を挽き始め、こけしも作った。
昭和8年に転業して上京し、港区麻布十番のタクシー会社に就職した。その後兵役についたが、戦時中に兵役を終えて復員し、麻布十番に住んでいた馬車屋の娘伊藤光子と結婚して婿養子となった。空襲を避けて終戦間際に世田谷区上馬に引っ越し、戦後には個人タクシー業を営んだ。
平成5年3月8日没、行年77歳。
〔作品〕 〈鴻・8〉の記載には「三男稔は現在東京にきているが、その作品はきわめて少数世に出ている」とあるが、写真での紹介はなかった。文献初出のこけし写真は〈こけし辞典〉の3寸5分である。また仙台のカメイ記念展示館にも一本ある。下掲写真は昭和7年ころの作で、勘内の面影をかすかに伝える。
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〔12.0cm(昭和7年頃)(ひやね)〕
〔伝統〕弥治郎系栄治系列。父勘内の型を受け継いでいる。