佐藤とよ

佐藤とよ(さとうとよ:1836~1904)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤東吉

弟子:

天保7年1月5日、刈田郡宮村の佐藤與蔵の長女に生まれる。弥治郎の佐藤東蔵の長男東吉に嫁いだ。東蔵の長女なみは佐藤熊治に嫁ぎ長男熊太郎をもうけたが、明治2年の凶作で生活が成り立たなくなり熊太郎を残して北海道へ転出した。東吉、とよ夫婦は自分達の子を亡くしていたので熊太郎を引き取り養育した。熊太郎が成人すると東吉は熊太郎を栄治という名で養子にした。
東吉は木地を挽き、こけしも作ったが、とよも東吉の木地に盛んに描彩をした。
とよは明治37年5月13日に亡くなった。行年69歳。
栄治の長男伝内は木地の技術を伝承してこけしを作ったが、養祖母とよの描彩を見て育ったので記憶していた。後年にその記憶をもとに下掲写真に示す「トヨノオボコ」と記したこけしを作った。とよ本人の描いたこけしは現存していないが、この伝内のトヨノオボコによりその様式をかなり詳しく伺うことが出来る。


佐藤伝内〔24.5cm(昭和15年8月)(西田記念館)〕 トヨノオボコ


胴底 「弥治郎 佐藤傳内 昭和十五年八月 トヨノオボコ」の記入

胴模様には襟を描いてそれに花模様を施している。栄治が襟の脇にあやめの花模様を描いたというが、これと同趣の模様かもしれない。面描も二重の瞳に撥鼻、頭部は手絡様で基本的に遠刈田と共通する様式である。一人挽き後に多くの弥治郎系作者はロクロ線を駆使した巻き絵模様に変わっていくのだが、とよは生涯遠刈田風の手描き模様を描いていたことがわかる。弥治郎こけしの成立過程が伺える貴重な資料である。
また鬢飾りの描法も墨でを加えた古風な描法である。このような墨による耳は、伝内本人型や、佐藤今三郎等にも見ることがあるが、おそらく古い遠刈田からの伝承だったかもしれない。


トヨノオボコ 鬢飾り

頭頂の様式も遠刈田の手絡模様に近い。

トヨ描彩の型(頭部)
トヨ描彩の型(頭部)

〈蔵王東のきぼこ〉に掲載された4寸5分(下掲)も同様に佐藤伝内がトヨノオボコとして、祖母とよのこけしを再現したもの。古式のあやめ模様が描かれている。

佐藤伝内〔13.6cm(昭和15年)(菅野新一旧蔵)〕トヨノオボコ

おそらくこうした描法の細部が、後の工人達の様式に吸収されて、巻き絵のロクロ線模様を加えながら今日の弥治郎こけしが完成していったと思われる。

 

 

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