平井盛(ひらいさかえ:1899~1950)
系統:土湯系
師匠:
弟子:
〔人物〕明治32年頃、福島県耶麻郡猪苗代町中ノ沢温泉の宮森食堂の主人宮森正の甥に生まれた。戸籍表記は平井栄、過去のこけし文献で平井盛と表記された。読みは「さかえ」が正しいらしい。特に定職にもつかず、宮森食堂で居候として暮らし、趣味として絵画、彫刻や書道に親しむといった暮らしだったらしい。芳蔵のところに出入りしていた友人の一人で、岩本芳蔵こけしの描彩も行った。病弱であったため兵役は免れた。芸事が好きで、中ノ沢の青年団をまとめて地芝居を行い、芳蔵もこれに再三出演したという。昭和33年頃60歳ぐらいで死亡した。
〔作品〕昭和15年頃に岩本芳蔵の木地に50本ほど芳蔵に似たこけしを描彩して宮森食堂で販売したという(小野洸聞書による)。
こけしに署名していないため芳蔵のこけしと混同されている場合もある。切れ長の目をした厳しい表情が平井盛描彩の特徴である。
下掲3本のように、平井盛描彩のものでも、顔の表情や胴の牡丹の描法にもかなり差があり、昭和15年前後の一定期間に何回かにわたって描彩を行っていたものと思われる。
〔19.7cm(昭和15年頃)(西田記念館)名和好子旧蔵
〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系
岩本芳蔵は戦前は描彩をあまり得意としていなかったので、芳蔵の木地に平井盛、酒井正進、本多信夫、安藤良弘などが描彩をしていて、その一部は芳蔵名義で蒐集家の手に渡っていた。
〔参考〕
- 野矢俊文:天徳寺補遺(その2)-平井盛と芳蔵ー〈木でこ・196〉(平成21年)