岡村安雄(おかむらやすお:1934~)
系統:独立系
師匠:岡村豊太郎
弟子:
〔人物〕昭和9年12月12日、木地業を経営する岡村豊太郎、貞子の5人の子供たち(男3人・女2人)の長男として西田川郡大山町鍛冶町に生まれた。祖父岡村豊作の代から木地屋の家系である。昭和27年3月に山形県立大山高等学校普通科(現・山形県立鶴岡中央高校)を卒業した。卒業後18才で直ちに跡取りとして家業を継ぐべく父豊太郎に師事し、木地挽を始めた。父の豊太郎は大正11年4月15才で函館の加藤龍初について、10年間ダライバンと轆轤の木地挽を学び、昭和7年9月に24才で大山に帰郷して木地屋の店を継承した。函館時代は、カムチャッカでのサケ、マス漁の木浮を桐材で盛んに挽いた。帰郷してからは、湯の川温泉の源泉を約2㎞離れた温泉街まで温度が下がらないように引湯するのに、カラ松で工夫して木管を作り特許を得ている。
安雄は父と一緒に轆轤とダライバンを併用して、繊維業の木工品、鋳物の木型、農業器具の木工品、建材や神社仏閣の神器、仏具等多岐に亘り受注生産を行った。昭和36年9月には、仙台市の工業技術院産業工芸試験所の伝習生として木工施削の課程を終了した。
昭和38年28才で結婚し、靖子を妻に迎えた。子供は男女二人いるが家業は継いだものはいない。木地製作の仕事は大山町のみならず庄内地区広範囲から依頼があり多忙であった。
父の豊太郎は昭和50年頃までロクロを回していたが、以後は工場の経営を安雄に任せた。平成5年1月14日に豊太郎は他界した。
平成13年には、鎌倉在住の著名な料理研究家である辰巳芳子さんの来訪を受け、安雄はすり鉢に使うすりこ木の製作(大、中、小の3種類)を始めて、その後もその製作は続けた。
こけしに関しては、頻繫に製作依頼を受けたが、本業が忙しくて製作の機会がなかった。令和元年10月に嵌め込み木地を60年振りに5本製作した。玩具では、戦前から地域に根付いていた大山独楽を盛んに製作したが、現在は鍛冶屋に後継者が無く製作出来なくなった。大山独楽(庄内独楽)は、地元では金ごまと呼ばれていて、心棒と外輪が鉄製で内輪が木で出来ているかなり重量感に富んだものである。
志田菊宏が安雄から許可を得て平成30年9月より豊太郎型、令和元年10月より豊作型のこけしを製作している。
尚、安雄の文献初出は〈山形のこけし〉(柴田長吉郎・箕輪新一著作・昭和56年山形テレビ発行)で岡村豊太郎の項(275~276ページ)に掲載されている。
岡村安雄 令和元年10月30日 撮影:中根巌
86歳(数え年)であるが、木地師として現役である。
〔作品〕岡村安雄のこけし製作は木地のみで、下掲写真は安雄木地に志田菊宏が岡村豊太郎型の描彩を施したもの。
〔17.0cm(令和元年10月30日)(中根巌)〕描彩志田菊宏による岡村豊太郎型
下掲は岡村安雄が挽いた木地製品の一例である。
〔右より、すりこ木.小18.5㎝、茶筒12.6㎝、大山独楽.直径8㎝、燭台.木地部分20.5㎝、こけし木地17.5㎝、こけし17.0㎝(令和元年)(中根巌)〕
〔伝統〕独立系
こけしは木地のみで描彩は行っていない。
〔参考〕