阿部友寿(あべともじゅ:1926~2011)
系統:土湯系
師匠:阿部広史
弟子:
〔人物〕大正15年3月9日、福島県土湯温泉のこけし工人阿部広史の長男に生まれた。子供の頃より父の仕事をみながら、木地を挽くようになった。ただ、木地挽きの職業にはあまり馴染めなかったようで、14歳の頃に福島から横須賀まで歩いて行き、そのまま予科練に入ったらしい。
友寿は終戦で兵役から戻って来たころ、しばらく木地を挽いてこけしを作ったことがあった。製作はごく短期間で製作数は20本程度という。その後、栃木の日産自動車へ就職して土湯から離れた。日産を退職後も栃木で暮らした。平成23年頃に亡くなったという。
〔作品〕下掲は広史作として伝わっていたが柴田長吉郎が、広史三男計英に見せたところ兄の友寿が昭和20~21年に作ったもの判明した。広史の様式に従っているが、こけしの表情は広史と区別される。
〔伝統〕土湯系松屋系列
〔参考〕
- 柴田長吉郎:続・こけし抄録 阿部友寿のこけし〈こけし手帖・311〉(昭和62年2月)
- 柴田長吉郎:阿部友寿のこけし〈伊勢こけし会だより・99〉(平成14年5月)