渥美壽雄(あつみひさお:1927~2019)
系統:土湯系
師匠:見取り
弟子:
〔人物〕昭和2年6月29日、福島県中ノ沢温泉の渥美輝雄、ミトリの三人兄弟の長男に生まれる。寿雄の正式表記は壽雄。渥美家は元来山形藩の士族出身で、輝雄は山形市で生まれ、旧制喜多方中学を卒業後日本硫黄株式会社(沼尻鉱山)の技師となった。母方は大正期より料理屋で後に旅館業となる小川屋を経営していた。
寿雄は昭和20年3月に福島県立青年学校教員養成所を卒業後、4月より吾妻国民学校中ノ沢分教場の教員となった。昭和24年3月で分教場を退職して、4月より母方の実家である小川屋旅館に勤め、昭和39年5月に社長に就任した。昭和25年4月に佐藤カヨと結婚し2男1女をもうけた。尚、小川屋旅館は平成20年4月から休業している。
こけしは昭和24年より、福島県立工業試験場の技師である安藤良弘の描彩指導を受けて、岩本芳蔵木地に石楠花こけしを描くことから始めた。また昭和25年に「中ノ沢こけし研究会」が設立され、顧問に岩本芳蔵、本多信夫、会長に本田政雄が就いたとき、渥美寿雄は会員として酒井正進、平井栄(盛ではなく栄が正しい)とともに加わった。寿雄が得意とした石楠花こけしは、昭和40年頃まで作られ「渓堂」と署名して土湯温泉で販売されていたが、現在ほとんど残っていない。また本多洋は教師時代の教え子で、事あるごとに「渥美先生」と頼り、相談をしていた。寿雄は長らく猪苗代町の民生委員を務めて地域の発展と住民に尽くした人でもあった。字が上手で、警察署や小学校の賞状書きを頼まれてやっていた。また新しい物好きで、自動車やテレビ、冷蔵庫を中ノ沢では最初に購入していたという。
令和元年11月21日没、行年数え年93歳。
尚、子供の善司は平成3年より中ノ沢温泉の高級旅館「御宿 万葉亭」を経営している。
〔作品〕伝統こけしの作品としては、少しの期間教え子の本多洋の木地に中ノ沢の様式を写して描彩したものがある。
〔24.3cm、24.3cm、24.3cm、24.3cm(平成16年)(中根巌)〕本多洋木地
〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系
伝統こけし工人というより、中ノ沢こけし維持発展の功労者の一人であった。
〔参考〕