中井淳

昭和初期に活動したこけし収集家。
明治36年3日24日、東京四谷に生まれた。大正15年3月第一高等学校文科丙類卒業、昭和4年3月東北帝国大学法文学部卒業、法学士、同年4月東北帝国大学助手、昭和7年4月東北帝国大学講師仏法講義担当。昭和13年2月台湾に渡り、台北帝国大学教授に就任、法哲学講座を担当した。昭和21年4月に台湾より引揚げ、同年9月に関西学院大学教授に就任、政治思想史と国家学を講義した。昭和28年に法学博士となった。

中井淳

仙台の東北帝国大学時代には向山越路六軒町に羅虎(らっこ)山塞と呼ぶ学生の合宿所を作り、一高北寮の出身者を中心として青春を謳歌した。ニックネームはオヤジ。このころ古代雛、三春張子、花巻、堤等の泥人形、時代木下駒、こけし等の郷玩に興味を持って収集した。
昭和2年の学生時代からこけしを集めはじめたが、その動機は東北帝大に来た外人の教授がこけしに興味を持って集めだしたことにあったようだ。浮世絵の前例を考えて、「これはイカン、外国にみな持っていかれる」と考えたからという。最初のこけしは胞吉で、胞吉の所へ5円を持って買いに行ったところ、胞吉より「大学生が子供のもつおもちゃなど買ってどうするか、5円など買うな。3円位にしておけ」といわれたらしい。以後熱心に収集活動を続けたので、中井邸の二階にある大きな床の間にはこけしがぎっしり並ぶようになったという。胞吉、キン、作蔵、儀一郎、運七、松之進、直助、静助、直治、広喜、由吉、丑蔵、惣七、貞吉、台温泉古こけし、佐々木要吉等、稀品を含め400本を集めた。
収集は昭和12年まで続き、台湾に渡るに際して羅虎山塞に出入りしていた高久田脩司(1歳年少の同輩)にあずけた。
収集番号400番までが中井淳の蒐集になるもので、以後高久田脩司が蒐集を継続し、その全体が今日、福島県三春歴史民俗資料館にラッココレクションとして収蔵されている。
台北に移ってからは台北のこけし収集家立花寿と共に台北こけし会を作った。また、明、清の陶磁や中国版画に興味を持ち、広東や満州にも旅行した。
終戦後昭和21年4月に台湾より引揚げ、同年9月に関西学院大学教授に就任して、兵庫県西宮市東浜に住んだ。
昭和29年1月1日午前11時55分、西宮の自宅にて没、行年52歳。
昭和34年4月〈中井淳集〉が刀江書院より出版され、昭和41年1月には中沢鑅太郎の編集により〈らっこ・これくしょん目録〉(私家版)が刊行された。この目録には、こけし入手の年月日、入手の経緯、恵贈者名など記載されていて資料的にも貴重である。

〈中井淳集)、〈らっこ・これくしょん目録〉

下掲はらっここれくしょんの一例。今ではその全貌を、橋元四郎平編〈らっこコレクション図譜 古きよきこけしたち〉(グラフィック社)(昭和58年)で見ることができる。

らっここれくしょん(1)

らっここれくしょん(2)

 

 

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