萱場稔(かやばみのる:1934~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤吉之助
弟子:
〔人物〕昭和9年4月9日、宮城県刈田郡遠刈田旭町の萱場猛の長男としてに生まれた。中学校卒業直後から遠刈田の佐藤吉之助について木地を修業した。与名本豊、村上正、長尾正儀、黒羽弘、大高公門は兄弟弟子にあたる。
昭和28年ころ年期があけ、そのまま吉之助の工場で新型の下挽き等の仕事をしていたが、昭和33年ころに伝続こけしを若干作った。
昭和35年ころに木地を中止した。その後、かもしか温泉で七十七銀行保養所の管理人をしていた。
以後の消息は不明。
〔作品〕昭和33年ころ作ったものが少数残っている。鹿間時夫によって「吉之助氏のところに、萱場稔(24歳)、大高公門(21歳)の両君がおり、新型を挽いている。〈こけし手帖・21〉」と紹介され、また旧型の作品写真が掲載された。
吉之助のこけしを忠実に摸して作ったが、やや甘美で繊細な表情であった。
〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列。
〔参考〕
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- 鹿間時夫:古作追求の旅〈こけし手帖・21〉(昭和33年6月)
- 遊木民:神宮杉 萱場稔〈伊勢こけし会だより・108〉(平成15年3月)