小島圭三(こじまけいぞう:生年不明~)
系統:南部系
師匠:及川吉三
弟子:
岩手県水沢の失明の木地師及川吉三の弟子で、佐藤七之助は兄弟子にあたる。師の及川吉三は大正4年から、東京本所中川幸八の依頼で、一個4銭で下木地を挽き、東京の三越で20銭で売った。晩年は水沢の小学校教諭石川勇治が絵付けをしていたが、やがて吉三は薄明かりだけは見えるが、ほとんど盲目同様で木地は挽けなくなった。
丹野寅之助は、〈鯛車・69号〉で「失明のこけし挽き」として、吉三を取り上げ、その弟子として小島圭三を紹介した。圭三は昭和17年秋まで水沢駅前で木地を挽き盛んに売れたというが、その名前もこけしもほとんど知られていなかったことは不思議である。もっともキナキナのようなものは、作者名を蒐集家があまり意識しなかったのも事実であった。また圭三の生年月日、経歴出身地などは一切不明である。
丹野寅之助(大船渡線の盛、細浦の駅長などを務めた人)は昭和3年4月仙台鉄道省から〈東北土俗玩具〉を発刊しているが、その後も地方史の記述などに合わせてこけしについて投稿していた。