安保一郎(あんぽいちろう:1891~1961)
系統:南部系
師匠:煤孫茂吉
弟子:石井誠朗
〔人物〕 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。
浄法寺にある天台寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、安比川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。
盛岡のキナキナ作者として知られた安保一郎の家は非常に古い木地師、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に二戸郡浄法寺の荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。
安保の家系は、彌一郎-彌市-彌助-彌七-彌吉-彌市郎-彌次郎-一郎まで遡れる。
南部の主要なキナキナ作者は全てがこの安保家の流れを汲む。松田精一のもとには安保彌市郎(文政3年5月10日生れ-明治25年3月12日没)の描いた木地寸法帖があった。
木地寸法帖 (盛岡松田家蔵) 中央右下に「安保彌市郎」の名が、左上に「元治元年子七月」(1864)の日付が見える
安保一郎は、明治24年11月17日、岩手県南岩手郡東中野村穀町79(現在の盛岡市)の木地師安保彌次郎・ナヲの長男に生まれる。祖母のカネ(彌市郎妻)は二戸郡田山村安保惣四郎の長女、おそらく木地師の家系であろう。
父の彌次郎は一郎が4歳の明治27年12月14日に42歳で亡くなったので、一郎は父から技術を学ぶことはできなかった。そのため彌市郎の孫弟子にあたる煤孫茂吉(彌市郎の弟子松田清次郎に木地を習っている)について木地を習得した。
松田清次郎の工場も穀町にあり、安保一郎も松田一家とともにその工場ではたらいた。橘文策の〈木形子〉で作者として紹介された。
安保一郎は、自家にロクロを据えて木地を挽くのではなく、松田の工場はじめ盛岡市内のいくつかの工場を渡るようにして仕事をしていたらしい。
終戦近くなると、盛岡市杉土手に盛岡木工所という製材工場が開設され、軍需の製品を盛んに作ったが、安保一郎は盛岡木工所の貴重なロクロ工人として働いていたこともあった。
戦後はキナキナの他に新型こけしの木地下などを挽いていた。
昭和36年2月22日没、行年71歳。 長男に一(はじめ)がいたが、電気関係の仕事に従事、富山県で働くようになり木地を継承しなかった。しかし、後年になって安保のこけし廃絶を惜しむ声があって、名義のみ安保一のこけしが世に出るようになった。木地は石井誠朗、描彩は女性によるものだったらしい。
〔作品〕 橘文策によって紹介されたこけしは〈こけしと作者〉の図版のように、無彩のキナキナと、長頭の木地に描彩を施したものの2種であった。
キナキナは下の図版に示すように、南部の伝統的なキナキナの形態で、安定した作行きである。
〔右より 10.3cm(昭和初期)、10.8cm(昭和16年)(橋本正明)〕
〔18.3cm(昭和35年3月)(橋本正明)〕 戦後のきなきな
戦後のきなきなも戦前と基本的に同形であるが、頭部の大きさなどは戦前のもののほうが、おしゃぶり時代の幼児の口に合った寸法になっていた。
〈こけしと作者〉図版に載った長頭に描彩のあるものは、下の写真に示した深沢コレクションの作例と同様の作。
「安保一郎の描彩は別人によるもので、館坂に女性描彩者がいた」とも言われ、その描彩者として、林たもつ、高橋マサ等の名が伝えられている。ただ、上掲の加藤文成撮影の写真には、筆を持って描彩中の安保一郎が写っているので、一郎自らが描彩したものもあったのだろう。
下の写真に示した戦後の描彩こけしを、ある蒐集家はビリケン、あるいは栗坊と呼んでいた。この型も加藤文成の昭和17年6月の写真に写っており、戦前から作られていた型であることが確認できる。
この描彩は、一説には旅の絵師、あるいは見ず知らずの学校の先生、官員に教えられたとも言うが、おそらくは岩谷堂の佐藤七之助のこけしと同じように岩手県工芸指導所の技師による指導のもとに作ったもと思われる。
安保一郎の描彩されたこけしの図案は、岩手県工業試験場の技師岡安太郎が描いたものと、個々の要素はほとんど一致する、
当時は農民創作運動の高揚などを目指して、こうした活動が各地で行われたが、庶民の文化レベルを高めようとする官側からの新考案であって、伝統的な要素は全くなかった。
安保一郎の本領はやはり無彩のキナキナであり、煤孫茂吉経由であるが、さすがに手堅い安保一族の伝統を維持していた。
〔系統〕 キナキナは南部系。 描彩のこけしには明確な伝統性はない。
ただし、この描彩のこけしも既に70年以上の歴史を持つようになっており、現在では田山和文、田山和泉父子によって継承され、愛好者も少なくない。