新山友蔵

新山友蔵(にいやまともぞう:1885~1951)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤伝内

弟子:

新山友蔵家は弥治郎の旧家で、旧藩時代には代々領主の御山立と御山守を勤めた。新山の二代目の先祖が柳の木で作った山神様の御神像を背負い、山形県飽海郡北俣村新山(現在の平田村北俣)より山を越えて弥治郎に来たといわれる。友蔵家には「山之合判」という古文書が伝わっている。
これには、享保16年11月5日という日付と休右衛門、二右衛門、加右衛門の三人の名前が記入されている。この三名の一人が友蔵家の先祖であろう。


新山家に残されていた山之合判 屋じろ(弥治郎)として三人の名がある

瑞祥寺過去帳には寛文12年(1672)以降の記載があるが、新山姓が現われるのは新山永蔵(天保8年1月12日没)が最初である。永蔵以前には姓を書いていないので新山家の先祖を過去帳によりたどることはできない。永蔵は文化8年に白石城主の片倉家より知行書を得ている。新山友蔵は永蔵から数えて二代目と六代目に二人いる。
二代目友蔵(?ー1850)は丑蔵、儀蔵、栄吉、久蔵兄弟の父にあたり木地も挽いたという。友蔵は天保11年、弘化3年、嘉永2年に賞金下付の御書付を片倉家より得ている。嘉永3年3月27日没。
六代目友蔵は新山善七の長男で明治18年3月6日生まれ、祖父栄蔵は木地を挽いたが、父善七は養子で木地を挽かず、したがって六代目友蔵は佐藤伝内の弟子となった。しかし師匠伝内も弟子の友蔵も木地にはあまり熱心でなく、間もなく友蔵は転業して馬方などをしていたという。佐藤今三郎とは親友であった。昭和26年旧1月13日没、行年67歳。こけしも作ったというが作品は確認されていない。

六代目新山友蔵夫妻 昭和16年

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