北本武(きたもとたけし:1913~1984)
系統:南部系
師匠:
弟子:
〔人物〕大正2年9月19日、福島県二本松の玉屋菓子店北本松之進の長男に生まれた。少年時代より絵が得意であった。昭和2年一家は盛岡の材木町に移り菓子業玉屋を始め、戦後は盛岡駅前に移った。昭和28年ころよりこけしに興味を持ち、店の一隅でこけしを売り始めた。その後、松田徳太郎、安保一郎、松田精一の木地に描彩を施し、北本型のこけしを創作した。初期の作は北本武本人の描彩であったが、武が身体を壊したので、昭和30年代後半からこの型を大沼俊春が自挽き描彩して代作するようになった。その後、さらに松本鶴治が製作するようになった(松鶴型)。したがって北本武型には武、俊春、鶴治の三人の描彩者がいることになる。
武自身は木地を挽かなかったが、息子恒彦は、昭和41年に東京こけし友の会の旅行会で盛岡を訪れた際に、キナキナを挽いたことがある。
昭和59年7月26日没、行年72歳。
〔作品〕北本武が創作した型。〈こけし辞典〉では「この種の作は、創作郷土人形と呼ぶべき性質のもので、伝続こけしとは異なる。」とされた。
〔21.2cm(昭和32年頃)(ひやね)〕北本武の描彩によるもの
〔伝統〕南部系 一般型
一応首がくらくらする嵌め込みであり、南部系とされたが、面描、胴模様など各系統混交であり、創作的な要素が強い。
〔参考〕