宮脇新兵衛

明治26年1月28日、京都に生まれた。幼名彦太郎、楳僊と号し、京扇子を扱う老舗「宮脇賣扇庵(ばいせんあん)」の4代目である。扇子商で美也古扇本舗、京都市上京区北野紙屋川町879にあった。現店舗は京都市中京区六角通富小路東入ル大黒町80番地3にある。
 創業は文政6年、美濃国出身の初代が近江屋新兵衛の株を買い受けて創業、現在の屋号は、明治20年、富岡鉄斎の命名によるという。この時、屋号を「宮脇賣扇庵」、 商標を「美也古扇」と改めた。三代目新兵衛は文化人としても名高く、文人墨客とも深い交流があり、また〈うなゐの友〉で有名な芸艸堂と雲錦堂の経営統合などの後押をした。


富岡鉄斎の「賣扇庵」扁額

 4代目新兵衛は田中緑紅の郷土趣味社に集まった知的人脈の一人で、緑紅は定期的に郷土玩具の頒布会を開催、その頒布会に参加して宮脇は郷土玩具の収集に目覚めた。大正14年3月発行〈鳩笛・6号〉の田中緑紅稿「京都の趣味家(下)」によると、「現代の宝船蒐集の第一人者、五百余点、これ丈もつてゐる方は一寸ない。ポチ袋二千五百、これは的場氏と共に京都祝儀袋交換会の同人である。支那玩具も沢山に集められてゐる。お商売物の扇子に関したものゝ蒐集もせられてゐると云ふ。先頃厳父逝去、これから京一番の老舗、売扇庵の主人として活動せられることになつた」と書かれている。この時の蒐集範囲としては、宝船、土俗玩具、支那玩具、祝儀袋、木版印刷物、ポスター、商標、絵葉書とある。


田中緑紅稿「京都の趣味家(下)」の掲載された〈鳩笛・6号〉

 しかし昭和10年9月の〈愛玩家名鑑〉(建設社)によれば、「何種を問はず、蒐集致し候も郷土玩具を集む。其数五千八九百個数と相成候 明治四十三年頃より集む、始めは小物が動機と相成り現今には何等種類を問はず 玩具旧型原型あるものを好む、創作も結構なれどもなるべくは旧物を望む」とあり、ジャンルを決めずに郷土玩具の大蒐集家になっていた。
 さらに緑紅の〈伏見人形の話〉(緑紅叢書・40)によると、京都・北野の宮脇新兵衛の自宅にはやがて約1万点を超える郷土玩具が保管されていたとある。
 また昭和14年3月の〈和多久誌〉(みやび会)によれば「趣味は古玩及び郷土玩具を主として大小不問2万3、4千種を蔵す。幼児より総ての物を蒐集するを好み、大正6、7年の頃宝船蒐集の流行を契機として、次第に蒐集欲を増し、郵券、燐票、木版、ポチ袋、絵葉書、古書、木版刷物その他一切の趣味品に及び殊に宝船は約4千枚を蒐集」とあり更にスケールアップしていたようである。これによると郷土玩具だけで2万点以上あり、まさにこの世界では未曾有の蒐集だったと云えよう。昭和35年11月16日逝去、行年数え年78歳。

なお膨大な郷土玩具のうち約千点が大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4丁目1-32)に「宮脇コレクション」として所蔵されている。平成25年12月11日(水)~平成26年1月27日(月)まで、宮脇コレクションから馬の郷土玩具の展示が、平成30年1月5日(金)~ 1月29日(月)からは犬の郷土玩具の展示などが行われてた。

〔参考〕

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