大沼なつ

大沼なつ(おおぬまなつ:生年不明~1871)

系統:鳴子系

師匠:

弟子:

宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。
なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高橋万右衛門家より蒔絵師であった万之助を婿に迎えた。しかし一子源太郎を生むと亡くなったので、万之助は高橋家に帰り、又五郎、なつ夫婦が源太郎を養育した。
又五郎の家は源蔵湯の下側にあり、二階建てで店先に四台、奥に六台ほどロクロを備えていた。弟子も多くいた。明治4年正月から明治5年4月までは、又五郎一家は水沢県庁の要請で県庁のあった登米へ行き、木地の指導にあたった。なつと源太郎も同行した。しかし、なつは明治4年8月15日に登米で亡くなった。明治5年に鳴子に戻った又五郎は後々妻よなを迎えた。
〈こけしの追求〉によると「又五郎も源太郎もこけしを作った。源太郎はのちに役場へ勤めたが、木地も挽けば下手な方ではなかった。(中略)なお又五郎の後妻ナツもこけしの描彩をしていた、ということである。」とある。残念ながらなつの描彩したこけしは未確認である。
大沼なつの表記について、ナツか、なつかについては不明、鳴子の女性名の戸籍表記は平仮名が一般的なのでここでは平仮名を項目表記とした。

 

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