岡崎代助

安政2年5月14日、羽前国南村山郡高湯村(現在の蔵王温泉)堀清八の二男に生まる。明治22年高湯の岡崎吉右衛門の長女つゆと結婚して婿養子となり家督を継承した。明治37年3月高湯中村屋の出身で養父吉右衛門の姪にあたるそでを養女にし、同年5月左沢大字三乕の稲村長次郎をそでの入婿とした。
養子長次郎は我妻勝之助、佐藤直助につい修業した木地師であることから、明治37年より「木地屋代助商店」を開業した。
代助商店は、それまで万屋が店を出していた家(平田屋という八百屋になった店舗の部分)のあとに開業され、長次郎のほかに佐藤豊治、子之助、久吉、巳之吉、佐竹林之助、秋山慶一郎などが職人として働き、こけしも作ったといわれる。大正11年代助退隠後は、長次郎が代助名儀で仕事をしていた。代助商店を開業した岡崎代助本人はこけしを作らなかった。没年月日不明。

〈日本郷土玩具・東の部〉では下掲の写真を掲載し、右二本を岡崎久作型、左端を岡崎代助型としていたが、右二本は岡崎栄作、左端は岡崎長次郎の作であろう。岡崎長次郎は昭和初期の作で、峰村愼吾旧蔵の長次郎と同時期のものと思われる。
岡崎長次郎の古作が正しく認識されるようになったのは、〈鴻・13〉で岡崎長次郎の作品鑑別法が示されてからである。〈日本郷土玩具・東の部〉の時代は作者名ではなく、商店主名でこけしが蒐集家の手に渡っていた。岡崎代助、岡崎久作にしても作者名ではなく、こけしを扱った商店の商店主名であった。


〈日本郷土玩具・東の部〉 右より 堀田高湯(岡崎久作型新旧二種・岡崎代助型)

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