戸籍表記 佐藤應助。飯坂八幡屋の当主。明治23年12月三女くらに弥治郎の毛利丈助四男栄治が婿に入った。すなわち応助は佐藤栄治の義父にあたる。義太夫をやったり、踊りの師匠などをした。八幡屋の屋号は応助が飯坂の村社八幡神社の入口八幡というところで生まれたことによる。杉浦健治の父も義太夫が好きで応助と懇意であったので子供の健治に木地の修業をさせたという。明治32年1月11日飯坂で没した。
戸籍表記 佐藤應助。飯坂八幡屋の当主。明治23年12月三女くらに弥治郎の毛利丈助四男栄治が婿に入った。すなわち応助は佐藤栄治の義父にあたる。義太夫をやったり、踊りの師匠などをした。八幡屋の屋号は応助が飯坂の村社八幡神社の入口八幡というところで生まれたことによる。杉浦健治の父も義太夫が好きで応助と懇意であったので子供の健治に木地の修業をさせたという。明治32年1月11日飯坂で没した。