中鉢新吾(ちゅうばちしんご:1923~)
系統:鳴子系
師匠:大沼竹雄
弟子:
〔人物〕 大正12年1月16日宮城県玉造郡鳴子町焼石亦(中山平)の農業中鉢久七・たきの三男に生まれる。母たきは大沼岩蔵・イナの一人娘(戸籍上は岩蔵の父大沼甚三郎の五女)、また新吾を晋吾で紹介した文献もあるが、新吾(戸籍表記)が正しい。
昭和12年高等小学校を卒業すると、鳴子大沼竹椎の弟子となり2年間修業した。戦争後、昭和22年より中山平で木地業を始め、こけしも作って大阪の乙三洞などへ出していた。
中山平時代の新吾については、橘文策が〈こけしざんまい〉の「木地屋を訪ねて」の中で触れている。橘文策の訪問は昭和22年6月、このとき鳴子の売店で3本、本人より2本の中鉢新吾作を入手している。
その後、まもなく新吾は転業し神奈川県川崎市で働き、同市高津区新作に住んだというが、以後の経歴は未調査である。
なお、中鉢久栄は新吾の弟で久七の五男であるが、その久栄のもとで晩年をすごした新吾の母たきを西田峯吉は訪れて聞書きを取った。〈鳴子・こけし・工人〉には「タキさんを訪う」という一文がある。
〔作品〕 製作本数はきわめて少なく、稀品の部類に属する。〈こけし鑑賞〉でとり上げられてから、一般に 知られるようになった。筆太な筆致てのびのびと描かれた佳品で、鳴子系としては珍しく土の匂いがするこけしである。下掲の2本のこけしは橘文策旧蔵、昭和22年橘が入手した5本の中の2本である。両鬢の外側が下がり、外に行くほど短くなるのは岩蔵の特徴である。新吾は岩蔵の手法を倣っていたことがわかる。
〔右より 19.8cm、20.7cm(昭和22年2月)(河野武寛)〕 橘文策旧蔵
鹿間時夫は昭和23年1月大阪の乙三洞で中鉢新吾作を1本入手しており、〈こけし鑑賞〉には「私はこのような素朴な処女作に近いこけしは定助のものと同じく、古鳴子に連なる美の領域のもので、軽視すべきではないと思うのである。」と書いている。橘旧蔵と同時期の作であろう。
〔系統〕 鳴子系岩太郎系列
〔参考〕 こけし千夜一夜物語 第392夜:これは誰のこけし?