簗川岩視

簗川岩視(やながわいわみ:1912~)

系統:新型・創作

師匠:

弟子:

〔人物〕明治44年頃、山形県南置賜郡南原村の村長簗川岩男四男として南原笹野(現在米沢市)に生まれた。岩視は昭和の初めに芳泉の堀実のところへ遊びに行っているうちに趣味で木地挽きを始めた。その後、工場に雇われてボビンと機業関係の木地製品を挽いた。こけし蒐集家の武井武雄からの注文は、昭和4年で〈日本の郷土玩具・東の部〉に紹介されたが、この時作った数十本以外は作っていないらしい。堀実が形態、デザイン全てを考案したもので商品名「振袖こけし」と名付けたという。創作こけしの嚆矢である。その後営林署に入り朝鮮に渡ったが、戦後に帰郷した。しばらく笹野の実家で生活し、その後仙台市に移ったらしいが詳細は不明である。

〔作品〕昭和4年に数十本作ったのみである。武井武雄は〈日本の郷土玩具・東の部〉で「おかっぱに赤リボン赤い着物を着て帯まで結んでいる」と記している。創作こけしの範疇に入るものである。


〈日本郷土玩具・東の部〉に掲載された梁川岩視〉

下掲図譜の左、大の方が〈日本の郷土玩具・東の部〉で紹介されたものであろう。実物に比べ武井武雄はかなり上品に完成度を高くして描いている。また武井武雄は「これは図譜の仲間入させるのもどうかと躊躇されるような化け物ですが、入手当時の思い出もあるので枉げて一席を与えました。〈愛蔵こけし図譜・こけし通信〉」と書いてる。


武井武雄の〈愛蔵こけし図譜〉に掲載された梁川岩視

〔伝統〕伝統性はない。戦前にこうした作品が作られたということにむしろ意味がある。

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