秋田県木地山で二人挽き轆轤で木地を挽いた小椋久四郎のロクロの綱とりを務めた人。
昭和7年9月橘文策が木地山を訪れたとき、綱とりをしていた荒屋敷松蔵に会い、木地を挽く久四郎と綱を取る盲目の松蔵の写真を撮った。〈木形子談叢〉の「木地山紀行」にその写真を紹介したので有名になった。松蔵の生年月日、没年月日は詳らかではない。
橘文策の紀行文によると「土間の右の方、戸口に向かって一台の二人挽きが据えてある。頑丈な軸の先端に一本の白木が打ち込まれている。軸と直角三尺ほど離れたところに小柄で色白のじいさんが引き綱を握ったままの姿勢で人待ち顔に腰掛けている。話しかけてみたがニッコリしただけで私の言葉が通じなかったのか返事がない。その前の一段高いところに道路に面した長い窓があって二台の足踏みが据っていて、その一台で槐樹の茶入を挽いている工人がいた。反対側すなわち後ろ奥に当たるところが木取りの場所で台の周囲に材料や木屑がうず高く積まれている。」(昭和7年 こけし紀行)とある。ニッコリしただけの老人が荒屋敷松蔵であった。