福島県中ノ沢で岩本善吉が作ったこけしを通称蛸坊主(たこぼうず)という。
昭和18年7月に、東京市赤坂区青山南町にあった郷土玩具店三五屋の松下正影が編集・刊行した〈こけし閑談記録〉のなかで、溝口三郎が岩本善吉のこけしを蛸坊主と形容したことから、この呼称が使われるようになった。溝口三郎は東京帝室博物館(現東京国立博物館)に籍を置いた漆芸研究家。
文中の当該箇所は下記の通り。14~15ページ
溝口、よいこけしの一例では、中ノ沢、岩本善吉の蛸坊主のやうなこけしこそ、真に個性と野趣の横溢したもので、彼は玩具に対して深い理解を持ち 何か根強い一つの実感をつかんでゐたやうである。第一、製作の腕が優れてゐて、極めて自然に、楽々とつくりだされたところに全的の魅力がある。その胴模様の堪能な点や あの大頭の大きな眼が全体の形にピッタリと調和してゐるのは稀有の名こけしと称して溢美でない。
土橋、 善吉の子供の時の姿があの蛸坊主のやうであったのだろう。
蛸坊主という表現は善吉のこけしに対する非常な賛辞の中で使われた。
岩本善吉、その二男芳蔵、さらにその系譜を継承する工人たちのこけしも蛸坊主と総称することがある。またその系譜に従うメンバーは、「たこ坊主の会」を結成して活動した。
たこ坊主の会メンバー
左より、斎藤徳寿、酒井正進、三瓶春男、渡辺長一郎、荒川洋一、福地芳雄、本多洋、柿崎文雄、本多信夫、瀬谷重治 昭和49年 撮影:山内晴也