福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつまびらかではないが、伊達輝宗が、その子政宗の成長を祈願して祀ったという土地の口伝もある。
多くの木彫りの子地蔵には布製の簡単な着物を羽織らせてあり、その外観はおしらさまや神明様にも通じるものがある。こけしの前駆となったものとしてこうした子地蔵を考える人もいるが、確実な伝承や記録はない。なお同様の地蔵尊としては、土湯温泉近くの荒井にある大竹子育地蔵尊がある。
あだち野のむかし物語が収録した小浜子守地蔵尊の縁起は次の通り。
むかし、むかし、川岸で子どもたちが、お地蔵さまをおぶって遊んでいたんだど。そのうちに雨が降ってきたので、子どもたちはお地蔵様を置きっぱなしにして帰ってしまったんだと。雨はどんどん降り続け川の中がいっぱいになり、お地蔵様は流されてしまい、何日も石にぶつかりながら荒浜っつうとこまで流されていったんだど。お地蔵様は、「小浜に帰っちな」と思ったんだけど荒浜の町の人たちは誰もお地蔵様に気がつかねんだど。それから荒浜に悪い病気がはやりだし、どうにも困った荒浜の人が、祈とう師におがんでもらったんだと。そうしたら、祈とう師のいうことには、 「荒浜に地蔵様が流れついていて、その地蔵様が小浜っつうとこに帰りたがってんだど。」それを聞いた荒浜の人達は、みんなして地蔵様を捜して小浜まで届けてくれたんだと。
その後、荒浜では思い病気がなくなり、小浜では地蔵様が帰ってきたので、うんと喜んで大切に大切にしたんだと。 (あだち野のむかし物語より)
二本松市小浜宇反町