大竹地蔵尊

福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実な記録や伝承はない。

近在で子供が生まれると必ずこの大竹地蔵尊にお参りし、赤子の健康と無事な生育を祈願して、お堂の中の木製の地蔵をお受けして帰る。この地蔵は子供のそばに置いて、子供がそれで遊ぶにまかせる。子供がいかにそれで遊んでも、泥だらけにしても、傷を付けても、決して怒らず、子供を守ってくれるありがたい地蔵様だと信じられている。子供が無事に育ったら、親はその地蔵と同じような地蔵をもう一体木を削って作り。二本にしてこのお堂にお返しする。毎年4月の第3日曜日にはお祭りがあり、たくさんの人が集まるという。
木彫りの地蔵尊は大部分が布製の着物を着せられているものが多く、その形状は巫女が神おろしに用いたおしらさまや神明さまと通じるところがある。
なお、同様の信仰習俗は二本松近くの小浜子守地蔵尊にもある。

ふくしま民話茶話の会が収録した大竹地蔵の縁起は次の通り。

今から約四百年前、江戸時代のはじめのころ、二本松の畠山家の家臣で、戦に敗れて落ちのびてきた鈴木治右エ門(じえもん)という人が荒井に住み着いたんだど。
あるとき、治右エ門の子どもが病気になっちまって、あっちの医者、こっちの医者と診てもらったげんちょも、なかなか熱が下がん ねがった。
一心不乱に仏様にお願いしたところ、ある晩のこと、枕元に一人の白髪の老人が立って「荒川に地蔵様がおられる。お願いして みるがよい」と言ったと思うと、姿が消えたんだど。
はっと気づいて、荒川さ行ってみっと、泥の中さ地蔵様がうずまってた。 持って帰ってきれいに洗い、お堂の中に安置したんだど。そこが、大竹という所だったのない。そしたら子どもは次第によくなって「霊験あらたかなり」とたちまち評判になった。この地蔵様を信心している家の子どもは、怪我をしても大事には至らず、疫病がはやっても、かからなかったんだど。
いつのまにか「子どもを守る地蔵様」「子育て地蔵」と呼ばれるようになって、子どもが熱を出すと、その地蔵様をお借りして、 治ると返しておくのない。ところが、本尊様は一つしかねえから、次の人が借りるのに困っちまう。それで、借りた人はそっくりの地蔵様を木で彫って、二つにして返すようになり、どんどん木像が数を増やしていったんだど。さらに県外にまで地蔵様の分身が広がって、子どもを守り続けているんだど。
はくさんしゃがて、荒井のお寺白山寺がお守りするようになって、お祭りも盛大に行われるようになったのない。 今でも四月の第三日曜日に例大祭が開かれてるんだぞい。

荒井大竹地蔵尊に収められた木彫りの地蔵

荒井大竹地蔵尊に収められた木彫りの地蔵

上図左端の衣装を取った地蔵像

 

福島市荒井字寺屋敷
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