寺沢七郎

寺沢七郎(てらさわしちろう:1928~)

系統:南部系

師匠:寺沢政吉

弟子:

〔人物〕 昭和3年6月15日、盛岡の木地業寺沢政吉の6番目の子供(末子)として生れる。寺沢省一郎は長兄。父政吉は松田清次郎の弟子で、煤孫茂吉坂下権太郎と兄弟弟子にあたる。
昭和20年戦争よりもどったのち、父政吉とともに木工業に従事する。父政吉は昔気質の職人だったので、手取り足取りの指導はせず、七郎は父の技術を横で見ながら習得した。父は七郎の仕事ぶりを見てニヤッとしているだけだったという。
スキーが好きで、自ら独学でスキー板の製作を始め、昭和25年より寺沢スキー製作所を開業。国産スキーの草分けとして非常な成功をおさめた。しかし、やがて大型スポーツ店が進出するようになって価格競争が激しくなり、スキーの製作を続けることが難しくなった。昭和54年、ついにスキー製作を断念し、もとの木工業に戻った。漆器を主に小物製作を始める。
平成27年現在数え年88歳であるが未だ現役で、盛岡市茶畑の寺沢製作所で、桑の茶入れなど茶道具の製作を続けている。

寺沢七郎 平成27年6月
寺沢七郎 平成27年6月

〔作品〕 昭和25年にスキー製作に移る前、および昭和54年に木工業に戻って以後はキナキナの製作は行っていた。またスキー製作中も夏季には木地を挽いていたというからキナキナも作っていたであろう。それでも、キナキナ製作者としての寺沢七郎の名は広く知られてはいなかった。製品は主として桑の用材を用いた茶道具であり、その合間にキナキナも作っていた。製品は、デパートやスキー場、民芸店の売り場に出されていたようである。作者を特定できないキナキナの中に、蒐集家の手に渡った七郎作がかなり有ったはずである。
現在は茶道具が専門で、キナキナは平成5、6年以降殆ど作っていないという。
〈こけし辞典〉の調査時点にはスキー製作専業であったことにもよるが、松田清次郎の孫弟子にあたる寺沢七郎が長く蒐集界に知られなかったことは残念であった。
写真掲載のキナキナは、製作を中止する前に作ったものであるが、幸運にも寺沢製作所に残されていた。盛岡の正統的なキナキナでその姿は美しい。

「右より 11.5cm、9.8cm(平成5年)(橋本正明)〕
〔右より 11.5cm、9.8cm(平成5年頃)(橋本正明)〕用材:桑の木

系統〕南部系 松田清次郎ー寺沢政吉ー寺沢七郎と続く系譜

〔参考〕 橋本正明:「寺沢政吉と盛岡のキナキナ」〈こけし手帖・655〉

 

寺沢製作所
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