寺沢省一郎

寺沢省一郎(てらさわしょういちろう:1914~)

系統:南部系

師匠:寺沢政吉

弟子:

〔人物〕  大正3年1月1日、盛岡の木工業寺沢政吉の長男に生まれる。寺沢七郎は末の弟。父政吉は松田清次郎について木地を習った後、盛岡市馬町で寺沢製作所を開業した。戦前は木地業を中心に行い、家族で木地を挽いていたので、省一郎もその一人として製作に加わっていた。キナキナも作ったという。
昭和初年には盛岡市本町の吉田時計店が木工所を併設しており、そこの職人としても働いた。〈東北の玩具〉(仙薹鐡道局編纂)(初版:昭和13年、再版:昭和14年)の巻末には「こけし這子製作地一覧表」があり、そこに載る本町の吉田木工所のキナキナ作者は寺沢省一郎である可能性が高い。
西田記念館に、寺沢省一郎作のキナキナが2本収蔵されている。青山の郷土玩具店「三五屋」から求めたものという。
省一郎が吉田木工所にいる時、安保一郎が来て、岩手県工業試験場(工芸指導所)でロクロ挽きを探しているというので、そちらに移った。それ以来、省一郎は職人というよりは役人のような仕事をした。戦争中は、女子挺身隊の教官をしたり、戦後は県の各地に転勤し、宮古の訓練校の校長なども務めた。退官後はよく弟の寺沢七郎の作業場に来て木地などを挽いていた。省一郎は、キナキナもそのころ作った。平成15年前後に亡くなった。

〔作品〕 下の写真に示した西田記念館の省一郎のキナキナは記念館のホームページでも確認できる。

〔右より 10.6cm、9.1cm(昭和8年頃)(西田記念館)〕
〔右より 10.6cm、9.1cm(昭和8年頃)(西田記念館)〕

このキナキナと同種の作は、鈴木康郎蔵品中にもあり、これも寺沢省一郎の作と思われる。
父政吉のキナキナと比較すると胴裾のくびれが少なく、やや太めになっているが、畳付(胴の最下部)の部分の形状は父のものと非常によく似ている。
寺沢一家のキナキナは、単に「盛岡きなきな坊」あるいは「盛岡きなきな坊っこ」として売られていたようで、作者の個人名が判然としない場合が多い。しかし、キナキナ の形状は松田清次郎からの伝承で、正統的な姿をした完成度の高いものであった。

〔10.6cm(昭和15年頃か)(鈴木康郎)〕
〔9.6cm(昭和10年頃か)(鈴木康郎)〕

系統〕  南部系 松田清次郎ー寺沢政吉ー寺沢省一郎と続いた系譜。

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