松江謙太郎(まつえけんたろう:1898~1953)
系統:独立系
師匠:鈴木国蔵/佐藤文六/野田久之助
弟子:
〔人物〕生年不明だが、〈こけし辞典〉記述の没年・行年から明治31年前後と推測される。
湯沢出身で大正3年頃、湯沢の秋田曲木製作所(現・秋田木工)で野田久之助について木地を習い、のち兄弟子鈴木国蔵のあとを追って及位の佐藤文六のもとへ行き職人として働いた。大正3年は文六が及位木工所を設立した年である。
その後、国道108号線から稲住温泉へ上る脇道入口に工房兼店を構え独立した。さらにその後、商店街の一角に移った。
昭和28年1月20日脳溢血のため他界した。行年55歳と推測される〈こけし辞典〉。
〔作品〕下掲の橘文策の〈こけしと作者〉掲載、鈴木国蔵とされる8寸2分のこけしは国蔵自身に覚えがなく、松江謙太郎の可能性が大きいとされる。
〔24.8m(昭和8、9年)(沼倉孝彦)〕橘文策旧蔵〈こけしと作者〉掲載のもの
同様の黒頭に着物のこけしはいくつか確認されており、鈴木国蔵の項目も参照されたい。
〔25.5cm(昭和8、9年頃)(橋本正明)〕石井眞之助旧蔵
戦後の作品は別人のように趣が異なる。
沼倉蔵のうち、右から2本目はこけし手帖19号掲載品で、高橋友鳳子により「松江謙太郎遺作」と記されているもの。
右端のこけしには年月日が記入されているが、没後であり購入日と考えられる。
〔伝統〕独立系。ただし、戦前は湯沢のこけしの影響が大きく戦後は仙台の鈴木清のこけしに影響されている。
〔参考〕戦後の松江謙太郎のこけしは仙台の鈴木清のこけしを手本にしたと見られるため、参考品として鈴木清のこけしを掲載する。
高橋胞吉のこけしを基にした新型風のこけしである。