朝倉きぬ(あさくらきぬ:1918~2018)
系統:遠刈田系
師匠:朝倉英次
弟子:
〔人物〕大正7年4月5日、長野県西筑摩郡山口村の朝倉栄四郎の長女に生まれる。父栄四郎は遠刈田の佐藤周吾の妻イシの弟にあたり、この時山口村の採石事務所で働いていた。
昭和18年7月遠刈田の佐藤静助の弟英次を婿とした。英次との間に、秀之、光洋、公明等の息子がいる。昭和22年英次とともに仙台に移り、当時需要の多かった新型こけしの描彩をはじめた。昭和41年頃より第2次こけしブームで伝統こけしに注目が集まるようになり、また英次も病を得て描彩が困難となったこともあって、佐藤照雄等の木地に英次の型の描彩をきぬが行うようになった。
この時期に長男秀之、三男公明も一時期こけしを作った。
昭和48年7月11日に夫英次が亡くなった後は、英次の弟子小笠原義雄等の木地に描彩を行った。
平成30年3月23日没、数え年101歳。
前列 左より 朝倉英次・なつ・きぬ 後列 公明・光洋・秀之・理恵子
〔作品〕 昭和41年の作り始めのころ朝倉英次の正末昭初の作を写したことがある。作例は〈こけし辞典〉に掲載されている。下掲のこけしは昭和50年代に、一側目の正末昭初の英次を復元したもの、雰囲気を良く再現できた佳作であった。
下掲2本も、英次古型の復元、小寸作り付けにも見るべきものがあった。
〔右より 20.3cm、13.5cm(昭和51年1月)(橋本正明)〕
下掲の尺は80歳の描彩であるが、筆の運びはしっかりしていた。
〔伝統〕遠刈田系周治郎系列
〔参考〕