荒井雅雄(あらいまさお:生年不明~)
系統:独立系
師匠:不明
弟子:
〔人物〕生年月日出身地など不明。もともと図案等のデザインを手掛けており、山形市香澄町で荒井図案社を経営していた。各種木地製品を製作販売し、大正3年東京上野で開催された大正博覧会の出品者には「山形市香澄町 荒井雅雄」の名がある。新趣向の菓子器など木地製品を出品していた。その後、山形市旅篭町で骨董店を長らく営んでいた。戦前の新型こけしの嚆矢のようなもので、各種の模様を描いたが、本人は木地は挽かない。〈鴻・第7号〉によると「天童向けのこけしに将棋の駒をあしらったものを描いている」とあり、商業的色彩の強いものであった。「アラヰ」という焼印を押したものもある。袖珍こけしNo.73は荒井雅雄であった。
〔作品〕作品の様式も必ずしも一定せず、山形系と蔵王高湯系の混交のようなものも多かった。昭和18年の袖珍こけし第五回頒布のNo.73は荒井雅雄であった。
〔伝統〕一応独立系とするが、伝統こけしとして確立されたものであったかは明確でない。
〔参考〕