高橋林平(たかはしりんぺい:1900~1962)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤広喜
弟子:高橋広平
〔人物〕 明治33年4月10日、宮城県刈田郡遠刈田の郵使配達夫高橋卯平の長男として生まれる。大正4、5年ころから佐藤広喜について木地の修業を始めたが、大正7年宮城県の補助金を得て遠刈田の北岡商店で木地講習が行なわれ、広喜がその講師となったために、林平も正式に養成工として入った。大正10年、北岡商店は遠刈田温泉に電動式モーターロクロを設置した木地工場を開設したので、林平はその北岡木工所で働く様になった。製材が専門であったが、盆や茶びつ等も挽き、玩具も多少作った。昭和3年長男広平が生まれた。昭和16年軍属として工作隊に入り、各地を廻ったが、その間にも木地挽を続けた。戦後再開した北岡木工所では、一時長男広平とともに働いた。その後、昭和24年ころより広平と共に宮鉱山で働いたが、同26年より農業に従事するようになった。長男広平は北岡のロクロを借りて木地を再開した。林平もまた農業の傍ら北岡木工所で製材を手伝ったりした。昭和37年5月6日没。行年63歳。
〔作品〕 こけし作りが元来専門でないため、ほとんど作らなかった。昭和17年ころ、蒐集家の懇望で作ったものが残っている。その他、戦後にごく少数だけ作ったようである。明眸な表情の広喜譲りの作風であった。
〔右より 12.4cm、21.8cm(昭和17年)(西田記念館)〕 西田コレクション
〔系統〕 遠刈田系吉郎平系列 長男広平が後を継いでこけしを作った。弟の高橋寅治郎は、北岡商店の木地講習会に林平とともに入門し、木地を挽いたが、こけしはほとんど作ったことはなかったという。
〔参考〕