荒川洋一

荒川洋一(あらかわよういち:1938~)

系統:土湯系

師匠:岩本芳蔵

弟子:

〔人物〕 昭和13年11月13日開拓農家荒川清作の長男として、会津若松市湊町大字共和字下馬渡に生まれる。その後、父が横浜に出て日本鋼管で働き、また茨城の五浦の近くに移っていわし船で働いたので、洋一も父について各地を転々とした。昭和18年4月、父に召集令状が来て燕三条の部隊に入ったので、洋一は母ととも原町にある母の実家に移った。山桜の咲き乱れるなかの移転であったという。父は広島に向かう途中に原爆投下のために先に進めなくなり、終戦とともに帰郷した。
昭和20年11月曾祖父の代に家のあった今の場所(西田面)に移った。昭和29年小学校を卒業すると、新農地の開拓に従事、しかし1年の開拓で広がる農地は限られているので、十分な農地を開くまでの期間は副業収入が必要であり、このため炭焼きを続けた。開拓地の湧水は酸性度が高いため、猪苗代湖から用水を引くこともした。
昭和35年開拓と炭焼きの仕事では先が見えないことを悟り転職を決意、会津若松の神山木工所に入って神山登に木地を習った。ここでは主に観光土産品を挽いたが、最も多く作ったのは昭和41年にオープンした常磐ハワイアンセンターの土産品フラダンス人形であった。
昭和45年伝統こけしの製作をこころざして、中ノ沢の岩本芳蔵に弟子入りし、芳蔵型を製作するようになった。
昭和47年正月には佐藤春二、岩本芳蔵が東京大丸、横浜高島屋で実演する機会があり、荒川洋一もこれについて参加し、デパートで実演等を行った。帰郷後、芳蔵に善吉型製作の許可を求めたところ承諾を得たので、岩本善吉のこけしを研究、蒐集家都築祐介のすすめで〈こけし愛蔵図譜〉掲載の武井武雄蒐集品の復元を行った。「迫真に迫る復元」と高い評価を受けた。以後善吉の主だったこけしを数々復元したが、それぞれが高水準の出来であった。
昭和48年師匠の岩本芳蔵が他界。その後、昭和50年には植木昭夫の依頼による小椋千代五郎型、甚九郎型、昭和51年には鹿間時夫の勧めで氏家亥一型および須賀川の松木朝臣の復元を行った。昭和60年には鈴木鼓堂の〈愛玩鼓楽〉発刊記念に際して磯谷直行型の復元も行った。
荒川洋一は、芸術一般に興味があり、自ら画才もあって、昭和50年代には会津若松の絵画サークルに入って学び、デッサンやスケッチも好んで行う。特に大山忠作や橋本明治の画風に魅かれた。対象の把握が正確であり、かつ本質的なものをとらえ得るので、こけし古作の復元を行う場合でも「迫真に迫る」ことが出来るのであろう。
現在でも、会津若松市湊町大字共和字西田面の作業場でロクロを挽いてこけし製作を行っている。また意欲的な工人たちが集まって平成21年に作られた「山河之響の会」の会員としても活躍している。

arakawa
荒川洋一 平成25年12月12日

荒川洋一 平成26年6月1日

荒川洋一 平成26年6月1日

〔作品〕 昭和45年作り始めた頃の作品は、師匠岩本芳蔵の型を継承したものだった。昭和47年以降種々の岩本善吉古作を復元。形象・様式のみの復元ではなく、表情を描く筆の運び、起筆・収筆、染料の選定、木地表面の触感、全てに渡って細心周到に吟味され、こころ配りされた復元である。
どの善吉の復元も高い水準に達しているが、特に〈こけし愛蔵図譜〉掲載作の復元は、武井武雄のややデフォルメされた版画以上に、原作を偲びうる作品になっていた。荒川洋一の代表作といえるだろう。

〔右より 24.3cm(昭和50年11月)、21.8cm(昭和49年10月)、31.1cm、18.5cm、25.3cm、25cm(昭和47~50年頃)(橋本正明)〕 岩本善吉型
〔右より 24.3cm(昭和50年11月)、21.8cm(昭和49年10月)、31.1cm、18.5cm、25.3cm、25cm(昭和47~50年頃)(橋本正明)〕 岩本善吉型
〔右より 30.6cm、29.8cm(昭和51年頃)(橋本正明)〕 氏家亥一型
〔右より 30.6cm、29.8cm(昭和51年頃)(橋本正明)〕 氏家亥一型

下掲の3本は、喜多方の小椋千代五郎、甚九郎の型を復元したもの、左端の千代五郎型はこけしの会の「原作と写し展」でも取り上げられ、〈木の花・24〉で紹介された。千代五郎、甚九郎を復元することについては当時の蒐集界で賛否両論の論戦があり、荒川洋一自体が製作意欲を失った期間があったが、今日では多くの人がこの復元を支持する様になり、洋一もまた喜多方型に取り組むようになっている。


〔 右より 21.3cm、30.6cm。17.5cm(昭和54年)(橋本正明)〕 喜多方型

下掲写真の近作二本は、善吉型の製作を継続して、40年近くを経ての作となるが、筆はますます自然体となり、また枯淡かつ自在となって、既に復元という範疇を超えた作品のように見える。


〔右より 33.5cm(平成26年5月)武井武雄〈こけし愛蔵図譜〉型、27.5cm (平成27年11月)面描:天江富弥旧蔵型(橋本正明)〕

下掲の作品は〈木の花・27〉に掲載されている久松保夫旧蔵の5寸4分(16.4cm)をもとに製作、右端が原寸通りであるが、寸法を変えて製作しても破綻は無く、中央の8寸などは筆勢闊達、表情怪異で、迫力があり、造形的にも見事に完成している。復元の域を超えているようにも見える。


{右より 16.4cm(平成26年11月)、24.3cm(平成29年11月)、18.0cm(平成26年5月)(橋本正明)〕 〈木の花・27〉久松保夫旧蔵型

〔伝統〕 土湯系中ノ沢亜系

〔参考〕

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