安藤良弘(あんどうよしひろ:1900~1981)
系統:土湯系, 独立系
師匠:
弟子:
〔人物〕会津若松にある福島県立工芸試験場の技師。明治33年頃の生まれ。県立会津中学校の卒業と思われ、校内の美術クラブ後素会のOBによって大正15年春に創立された彩光会という洋画団体の名簿に長尾三郎、春日部たすく、渡部菊次、田部喜市、福島正雄等と並んで安藤良弘の名がある。
工芸試験場の技師であった安藤良弘は中ノ沢の酒井正進や本多信夫のこけしの描彩を指導した。正進のこけしとして流布ししたもののうちには、良弘の描彩によるものがある。安藤良弘が見本として描彩したと思われるこけしの数例を見ると、いづれも重厚雄渾な作品である。
昭和29年福島県物産館発行の「郷士玩具」掲載の「こけし小話」は福島県工芸試験場安藤技師述となっているが、この安藤技師は安藤良弘のことかもしれない。
主に岩本芳蔵の木地に中ノ沢の工人のこけし図案として描彩したようで良弘自身は木地は挽かない。また、残っている作品の中のうち、どこまでが図案として描かれたもので、どこからがその図案に従ってそれぞれの工人が作り始めたものなのかは厳密に整理されてはいない。また南会津郡の塔のへつりでこけしを作った北村守雄も会津若松の工芸指導所時代の良弘に指導を受けたという。守雄のこけしは中ノ沢様式というよりは土湯の一般型であった。
昭和56年6月30日没、行年82歳。
〔作品〕〈 木形子談叢〉で岩本芳蔵で紹介され、〈こけしと作者〉では酒井正進とされた胴模様桔梗のこけしを鹿間時夫は「草書体で力あふれる傑作」としたがこれも安藤良弘描彩と思われる。情味深く、後年の酒井自身の描彩に影響した。〈こけし・人・風土〉掲載の百合模様の本多信夫も良弘の描彩らしい。多くの安藤良弘描彩のものは酒井正進や本多信夫、岩本芳蔵など他人名義で蒐集家の手に渡っているが、下掲の小野洸コレクション中の大寸物二本は良弘として集められたもの、赤い怪異な雰囲気で印象の強い作である。木地は岩本芳蔵であろう。
〔右より 35.0cm、35.8cm(昭和10年)(小野洸旧蔵)〕
下掲は〈こけし・人・風土〉掲載の百合模様の本多信夫名義であるが、安藤良弘の描彩という。
〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系あるいは独立系
安藤良弘が描彩したり、デザインして指導したこけしは岩本善吉の型を離れて、工芸試験場の技師として図案した様式であった。その意味では独立系とすべきかもしれない。芳蔵に依頼した木地のスタイルにまで何らかの指示があったかどうかはわからない。
〔参考〕