岡崎直志

岡崎直志(おかざきなおし:1911~1976)

系統:蔵王高湯系

師匠:岡崎久太郎

弟子:岡崎昭一/岡崎幾雄

〔人物〕 明治44年7月1日、山形県西村山郡西川町の宿坊経営叶直家・雅代の次男に生まれる。叶家は出羽三山の参詣客の宿坊を営んでいた。大正15年高等小学校卒業後食料品卸商に勤めたが、昭和7年に入隊兵役、10年に除隊した。昭和12年応召、15年4月に帰還後、米沢市小野川の岡崎久太郎・つめの長女菊子(戸籍表記はきく)と結婚、久太郎夫妻の婿養子となった。久太郎について木地を修業、昭和15年7月頃よりこけしを作るようになった。〈鴻〉で写真は掲載されなかったが名前のみ紹介された。昭和16年に長男昭一誕生。昭和19年応召、戦後21年秋に帰還した。昭和24年に動力ロクロを導入した。このころ蔵王高湯の岡崎幾雄が直志のもとに来て木地を学んだ。昭和26年に養父久太郎没。小野川で土産物店を経営しながらこけしを製作した。昭和36年からは長男昭一も木地の修業を始めた。昭和43年に妻菊子が他界した。長男昭一は昭和49年頃からこけしの描彩も行うようになった。
昭和51年1月6日没、行年66歳。

岡崎直志 昭和40年

岡崎直志 昭和40年

〔作品〕 昭和15年頃の作品はあまり多く残っていない。久太郎を写しているが、筆が闊達になるには至らなかった。
下に掲げた写真右端は、重ね菊が平板に描かれていて、未だ描法稚拙であり、作り始めの頃の作と思われる。また深沢要の小野川訪問も昭和15年7月初旬であるから、深沢コレクションのものも初作に近いであろう。

〔右より 11.7cm(昭和15年)(池上明)、17.5cm(昭和16年)(北村育夫)〕
〔右より 11.7cm(昭和15年)(池上明)、17.5cm(昭和16年)(北村育夫)〕

〔18.2cm(昭和15年7月)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔18.2cm(昭和15年7月)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

戦後になって、昭和33年の〈こけしガイド〉で始めて写真紹介された。昭和35年に栄治郎型を復元、昭和41年末には久松保夫蔵の最盛期久太郎を復元した。この久太郎は、都立家政のたつみから蒐集家の手に渡った。下に掲載した写真の左のこけしである。

〔右より 30.6cm(昭和40年8月)、25.3cm(昭和42年2月) 岡崎久太郎型 (橋本正明)〕

〔右より 30.6cm(昭和40年8月)、25.3cm(昭和42年2月) 岡崎久太郎型 (橋本正明)〕

他に札幌時代の栄治郎の細胴と作り付け小寸の組み合わせを復元したが、良い出来であった。これもたつみから頒布された。

〔右より 20.9cm、14.0cm、20.9cm(昭和42年2月)(橋本正明)〕  久松保夫蔵の栄治郎(札幌時代)の復元
〔右より 20.5cm、13.8cm、20.5cm(昭和42年2月)(橋本正明)〕
久松保夫蔵の栄治郎(札幌時代)の復元

〔伝統〕 蔵王高湯系能登屋。

[`evernote` not found]