菅原修(すがわらおさむ:1952~)
系統:鳴子系
師匠:大石辰雄/河村守
弟子:佐藤こずえ/齋藤祥子/岡本雄
〔人物〕 昭和27年10月18日、農業・菅原新一郎の三男として生まれる。
昭和46年12月神奈川県鎌倉市の大石製作所で大石辰雄のもと木地修業を始め、その後秋田県本荘市(現・由利本荘市)に移転。昭和62年12月より河村守の許可を得て、漆器の素地製作の傍ら、見取りによる本荘こけしの製作を始めた。
こけし製作の動機となったのは鎌倉での木地修業中に鳴子でこけし修業をした先輩がいたこと、仕事場の友人が横浜こけし会に入会していたこと、昭和53年4月に神奈川県立博物館で開催された「こけし古名品展」を展観して感動したこと等による。
初めてこけしを挽き描彩をしたのは昭和56年のことであるというが、初作のこけしの存在は不明である。〈こけし春秋・111号〉に、この時期の様子や同時期のこけし~平成7年頃までのこけしが高橋利夫により紹介されている。
以後、北原鉄造や河村清太郎等の現物に触れながら、こけしの完成度を高めていった。また横手の鳴子系工人福田良助のこけしを復元したこともある。
平成27年より、同市の佐藤こずえにこけしの製作を教えている。
また、令和元年6月より齋藤祥子に、令和3年末より岡本雄に木地描彩の指導を行い、この二人も本荘こけしを継承した作品の製作を行うようになった。
〔作品〕 胴模様は井桁、楓、三本菊、炎菊、楓、絣、菖蒲等がある。
本荘市内の斎藤民芸店で販売した昭和63年頃より現在の作風に近づき安定した。
守よりも音次郎、清太郎の作風に近い。
下掲はらっここれくしょん中にある横手の福田良助のこけしを復元したもの。向かって右の目左端に赤点を入れるなどほぼ完璧の復元になっていある。
〔伝統〕 鳴子系外鳴子